渦巻く夜空に三日月と星が大きく輝いているゴッホの「星月夜」は、芸術の歴史に釈然と輝く傑作のひとつです。
うねるような空と糸杉が印象深く、不気味さと美しさそしてどこか懐かしさを感じさせる夜景は、何年もの間、見るものを魅了してきました。
この記事ではそんな「星月夜」について、絵にまつわる謎や鑑賞ポイントゴッホの心情と併せて詳しく解説します。
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星月夜とは
Van Gogh – Starry Night – Google Art Project – フィンセント・ファン・ゴッホ – Wikipedia
ゴッホの「星月夜」は1889年に描かれた印象派の代表作の一つで、独特の筆致と色彩が際立っています。
この絵画には激しい情熱と深い感情が込められており、その裏にはゴッホの複雑な生涯や精神的な苦悩が影響しています。
絵画の中で特筆すべきは、夜空に広がる輝く星々と、月明かりで照らされた風景です。
ゴッホは色彩を駆使し、星々を黄色い光で輝かせ、青い夜空とのコントラストを際立たせました。この色使いは、ゴッホが自身の内面から湧き上がる情熱を表現したものとされています。
「星月夜」が描かれた当時、ゴッホはアルルの精神病院に入院していました。この絵画は入院中に描かれ、窓から見える風景を元にしています。
病院内での制作にも関わらず、彼の芸術的な熱意と視覚的な感受性が際立っており、制約を超えた表現が成されています。
ゴッホの生涯は常に波乱万丈でした。彼は貧困に苦しみ、孤独な日々を送りながらも、絵画に対する情熱を失うことはありませんでした。「星月夜」は、そんな彼の複雑な心情や孤独感が色彩と筆致を通して表現された作品と言えます。
この絵画は後の時代に大きな影響を与え、芸術家や観客の心を捉えました。特に表現主義や抽象表現主義の芸術家たちによって高く評価され、その独自のスタイルは多くの人々に感銘を与えました。
また、「星月夜」には科学的な興味も絡んでいます。ゴッホは星座や宇宙の美にも深い感銘を受け、その影響が絵画にも色濃く表れています。
星々や月、宇宙の神秘性が彼の想像力を刺激し、独自の視点から描かれています。 絵画の中には村の家々や教会も描かれており、これはゴッホが普段から愛した田園風景や農村生活への憧れが表れています。
しかし、その一方で絵画全体が独自の幻想的で夢幻的な雰囲気に包まれており、リアリティと幻想が交錯する独特の世界観が生まれています。
「星月夜」はゴッホの芸術の頂点と見なされ、彼の作品の中でも最も有名かつ重要なものの一つです。
その感情のこもった筆致と美しい色彩は、観る者に深い感動を与え、ゴッホの芸術が時を超えて多くの人々に愛される理由の一端となっています。
凄いバックグラウンドで描かれた作品なんだね。。。
ゴッホとは
ビンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh)は、19世紀末に活動したオランダの画家で、その独自で感情豊かな作品で広く知られています。
彼の生涯は困難と独自性が交錯したものであり、その芸術は後の時代に大きな影響を与えました。
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ゴッホは1853年、オランダのゴーデア生まれで、幼少期から芸術への興味を示しました。しかし、絵画の道に進むことは簡単な選択ではありませんでした。
彼は商業の世界で働く傍ら、精神的な不安や絶え間ない孤独感に苦しむことが多かったようです。
1880年代初頭、ゴッホは芸術に真剣に取り組む決断をしました。最初はオランダやベルギーで風景を描き、農村生活をテーマにした作品を制作しました。
しかし、彼の絵画スタイルは徐々に独自のものへと変化していきました。
ゴッホの最も著名な時期はアルルに滞在していた1888年から1889年までの期間でした。この時期に描かれた絵画には、特有の筆致と強烈な色使いが表れています。
代表作の一つである「星月夜」は、彼の内面の葛藤や感情を鮮やかな色彩で表現したものであり、後の芸術運動に多大な影響を与えました。
彼の絵画に見られる太い筆致や鮮やかな色彩は、しばしば感情の爆発や内なる苦悩の表現と結びついています。
ゴッホは絵を描くことを通じて自らを解放し、その結果として生まれる独自の表現スタイルは、後に表現主義や抽象表現主義などの芸術運動に影響を与えました。
しかし、ゴッホの生涯は成功とは程遠いものでした。貧困や孤独、精神的な苦悩に見舞われ、時には自傷行為にまで至りました。
1889年にはアルルの精神病院に入院し、そこで数々の作品を制作しました。その中には「星月夜」も含まれており、病院の窓から見える風景を描いています。
ゴッホは1890年に自ら命を絶ちました。享年37歳でした。その死後、彼の芸術が評価され、彼の独自の視点や情熱的な表現は多くの芸術家に影響を与えました。
彼の作品は今日でも世界中で高い評価を受け、美術館やコレクターのコレクションにおいて重要な存在となっています。
今ではこんなに有名な画家なのに、存命中は評価されていなかったのか。。。
見えないものを描いた作品
前述の通り、「星月夜」はサン=レミの療養所の窓から見た村の景色といわれていますが、実際はゴッホの病室からは田園風景が見わたせるだけで、絵のようにサン=レミの町並みまで見ることはできませんでした。
そもそも、絵の中に描かれているのは故郷オランダ風の教会です。
「星月夜」に描かれているサン=レミの教会があったとしてもそれはドームを持つ南フランス風の建物であり、描かれているようなオランダ風の協会の存在はありえません。
本来、見たものを描くことしかできなかったゴッホが故郷に思いをはせながら書いた空想の風景ということになります。
Van Gogh – Starry Night – Google Art Project – フィンセント・ファン・ゴッホ – Wikipedia
僕には想像もできないくらい、この絵のこの町並みにはゴッホのあらゆる想いが込められていそうだね。
糸杉の存在感
ひと際大きな存在感を放つ糸杉ですが、晩年のゴッホの作品にはこの糸杉が描かれているものが多く存在しています。
Vincent van Gogh – Road with Cypress and Star – c. 12-15 May 1890 – 糸杉と星の見える道 – Wikipedia
ゴッホは、信頼していた弟のテオに「いつも糸杉に心惹かれている」と手紙を送っていました。
それだけ、ゴッホにとって糸杉が特別な存在であることがわかります。
また、ゴッホはエジプトのオベリスクの均衡を備えている感じに惹かれ、糸杉の形を「オベリスク」に見立てていたといいます。
オベリスクとは、古代エジプトにおいて建設されたモニュメントです。
糸杉には「死」や「絶望」といった意味があり、墓地に多く植えられている樹木でもあります。
精神的に落ち込む時期の多く療養中のゴッホにとって、糸杉のイメージはマッチしていたと考えれれます。
あー!言われてみればオベリスクっぽさあるね。
星空のうねり
糸杉のほかにこの絵の印象に残るポイントとしてうねる星空を挙げる人も多いのではないでしょうか。
見たものしか描けないゴッホがなぜこのようにうねる空を描いたのか。
想像した故郷の空がうねっていたのかなど疑問が生じます。
これについては天の川だとする説や、発作の起こる直前の以上知覚だったのでは?という説など様々な説があります。
ゴッホは、日中帯の明るい景色にめまいを起こすことがあったようで、サン=レミの病院では精神を安定させるために風景を描くことを避けていました。
夜間帯の景色はめまいを起こす心配がなかったので落ち着いて作品制作できたのでしょうか。
何故夜空をうねらせたかは諸説あるんだね。
僕はこのうねり大好きだよ。
まとめ
今回はゴッホの「星月夜」を紹介いたしました。
ゴッホの生き様を知る前と後では作品の印象も変わってくるのではないでしょうか。
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