パリ・モンマルトルで画材店を営んだジュリアン・タンギーは、若い画家たちに絵具を“ツケ”で渡し、絵を飾り、時に買い取って支えました。ゴッホにとっても生き延びるための後ろ盾であり、彼の店で出会った浮世絵は、ゴッホの色と線を一変させます。
《タンギー爺さん》は、そんな恩人を正面から描いた感謝の肖像。背景いっぱいに広重や英泉(国貞)風の版画を配し、西洋の肖像画+日本の画面構成を融合させたパリ時代のハイライトです。

背景が全部“日本のポスター”みたいで最高。
店の壁にほんとに浮世絵を貼ってたんだ。あの空気ごと描いてるね。

タンギー爺さん
まずは作品のデータを簡単にご紹介します。

作品名:タンギー爺さん
制作年:1887年(パリ時代)
技法:油彩/カンヴァス
所蔵:パリのロダン美術館所蔵で知られる色彩豊かな最終版ほか、複数ヴァージョンが存在します。
キーワード:モンマルトル、浮世絵(ジャポニスム)、支援者の肖像

同じモチーフが何枚かあるやつだよね。
そう。暗めの初期版→色面が賑やかな最終版って進化してる。

背景|「タンギー爺さん」って誰?
本名ジュリアン・フランソワ・タンギー。モンマルトルの画材・額縁店主で、ピサロ、セザンヌ、ゴーギャン、そしてゴッホらを物心両面で支えました。代金の代わりに作品を受け取ることもしばしば。店は小さいが、最新の絵と安く手に入る浮世絵が壁いっぱいに並ぶ“開かれた展示室”でした。
ゴッホは1886年末にパリへ移り、この店で浮世絵を買い、模写し、構図や色の自由さに触れていきます。肖像の背景は、そんな店の現実の壁+ゴッホの日本趣味のミックスです。

彼がいなかったら、パリでゴッホ詰んでたかもな。
ほんと。絵具の“命綱”を握ってた恩人だよ。

構図|正面坐像+“版画の屏風”
タンギーは正面向きに腰かけ、両手を重ねて膝上。胴体の三角形が安定感をつくり、帽子の円と肩の曲線が画面をやわらげます。
背景は浮世絵のパネルを縦横に敷き詰めた屏風(コラージュ)のような設計。左下の花、左の美人画、中央上の富士山や右上の桜など、各パネルが色とモチーフのリズムを分担し、人物の青いコートをぐるりと囲む補色の輪になります。視線は「顔→手→背景の版画→ふたたび顔」へと巡回します。

背景が“ごちゃごちゃ”じゃなくて“リズム”になってるのすごい。
正面の静けさ×背景の躍動、の対位法だね。

色と筆致|青いコートが“ハブ”になる
パレットはコバルトや群青のコートを中心に、黄・赤・緑の版画で周囲を明るく囲む設計です。顔は赤や緑の短いタッチが交じり、血色と陰影を同時に作ります。
筆致は方向性のある短いストローク。コートは縦横のハッチングで量感を、背景は平面的な色面でリズムを。オランダ期の暗さから離れ、黒に頼らず明度差で空気をつくるパリ流が定着しています。

青の面積デカいのに、重くならないのはなんで?
周りが高明度で囲んでるから。青が“中継点”として効く。

日本美術の引用|何が描かれているのか
背景には、ゴッホが愛好・模写した歌川広重や渓斎英泉(のちの歌川国貞)の図案に基づく要素が見られます。

- 風景(富士・桜・川・橋)=広重系の風景版画の語彙
- 美人・役者絵=英泉/国貞系の人物版画の語彙
ゴッホはこの前年、広重《名所江戸百景》の「大橋あたけの夕立」「亀戸梅屋舗」を大胆に色変えして模写しており、平面の色面・太い輪郭・省略の妙を学んでいます。本作はその知見を肖像の舞台装置に転用した例です。

つまり、背景は“好きな版画のベスト盤”ってこと?
ベスト盤+編曲だね。自分色で調和を取り直してる。

人物像の捉え方|優しい目の“街のパトロン”
タンギーの表情は、正面なのに厳しすぎない。目元は柔らかく、口元にはわずかな笑み。手は大きく描かれ、労働者の手の実感が出ています。
彼は豪商ではなく、小さな店の店主。それでも“画家を生かす”という意味では街のパトロンでした。青いコートの質素さと、背景の華やかさの対照が、彼の実直さと文化の懐を一緒に語っています。

派手じゃないのに、めちゃくちゃ格好いい大人だわ。
たぶん、ゴッホが見た“優しさの形”なんだよ。

パリ時代の位置づけ|色彩転換の“証拠写真”
《タンギー爺さん》は、暗い土色のヌエネン期→明るい色面のパリ期への移行を、肖像というジャンルで証明した作品です。浮世絵で学んだ補色の響き、輪郭の強調、平面と量感のせめぎ合いが、後の《ひまわり》《夜のカフェテラス》へ続きます。
つまりこの一枚は、支援者の礼状であり、同時に自分の進化の宣言でもありました。

ここから一気に“あの黄色”に行く感じが伝わる!
うん、パリで色のギアが入った証拠だね。

よくある質問(FAQ)
Q. 何枚描かれているのですか?
A. 複数ヴァージョンがあり、色調や背景配置が異なります。最も色鮮やかな版が広く紹介されています。
Q. 背景の浮世絵は実在作の引用ですか?
A. 特定できるモチーフ(富士・桜・美人・役者・川景)を自由に組み合わせた引用・再構成です。広重・英泉(国貞)系の語彙が核です。
Q. なぜ青いコートなのですか?
A. 仕事着としての質素な青は、人物の実直さを強調し、周囲の多彩な背景を統べる“ハブ色”として機能します。

青、ただの服の色じゃなく“画面をまとめる主役”なのね。
そう。色は性格も構図も運ぶんだ。

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まとめ
《タンギー爺さん》は、支援者へのオマージュであり、ジャポニスムと色彩革命の宣言でもあります。
正面坐像の静けさと、浮世絵の躍動。実直な青と、祝祭的な色面。パリという交差点でしか生まれない肖像が、ここにあります。
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優しさと色の暴れっぷり、どっちも立ってるのが名作の証拠だね。
うん。これ見てから“パリのゴッホ”を辿ると、全部腑に落ちるよ。
