暗い背景から厚い絵肌で彫り出された女性の顔。
オレンジ色の頭巾が沈んだ色調の中で唯一の灯のように揺れ、視線を捉えます。
1885年4月、オランダ・ニューネンで描かれた《女性の顔》。
モデルとなったのは農家の娘ホルディーナ・デ・フロートで、《ジャガイモを食べる人々》にも登場する女性です。ゴッホは彼女を通して、農民生活を象徴する姿を表現しました。
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」で来日する作品です。
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お、モデルの名前ちゃんとあるんだ。
そう、ホルディーナ・デ・フロート。通称シーンだよ。

《女性の顔》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品名:女性の顔(英題例:Head of a Woman / Woman’s Head など)
制作時期:1885年4月(ニューネン)
技法:油彩
主題:ニューネン周辺の農家の若い女性(ホルディーナ・デ・フロート)の頭部
所蔵:ファン・ゴッホ美術館

この女性が、あの《ジャガイモを食べる人々》の食卓にいたんだ。
うん。だから肖像も群像の一部みたいに見えるんだよね。


ホルディーナ・デ・フロートという存在
ホルディーナ・デ・フロートは、ニューネンの農民一家に生まれ、ゴッホが特に多く描いたモデルの一人です。
彼女の顔には生活の重さが刻まれ、特別な美化はされず、ありのままの姿が画布に映し出されています。
このリアリズムは、ゴッホが農民の労働と誠実さを芸術の核と考えていた証拠といえるでしょう。

ルが実在すると、絵に一気に生活感が出るね。
そうそう、匿名じゃなく名前が残ることで“生きていた人の像”になるんだ。

ニューネン期の終盤――群像へ直結する“顔”の鍛錬
1884〜85年、ゴッホは農民の生活を主題に、数十点規模で頭部の油彩・素描を制作しました。
《女性の顔》はその最終盤、群像作《ジャガイモを食べる人々》に説得力を持たせるための準備そのものです。
表情のドラマよりも、頬骨の張りや鼻梁の角度、口元の締まりといった“骨格の言葉”を優先し、室内の弱い光のもとで顔を立体として捉えています。

美人画じゃなくて、生活の重さが出た“顔つき”を狙ってるんだ。
うん。群像を支えるのは、結局ひとりひとりの顔の確かさだからね。

オレンジの頭巾と沈んだ色調
暗い背景に対して、オレンジ色の頭巾は画面の焦点を担います。
強い彩度ではありませんが、抑えた緑や褐色のなかで唯一の暖色が顔を浮かび上がらせる。
その効果は彼女の存在をより印象的にし、群像作品でも目を引く力を生んでいます。

ほんとに頭巾が光みたいになってる。
群像でも埋もれない要素を計算してたんだろうね。

筆触が刻む骨格
ゴッホは短く力強いストロークでホルディーナの顔を描き、彫刻的な量感を持たせています。
頬骨や鼻筋の陰影、口元の硬さは、農民としての労働の重みを象徴しているかのようです。
色彩よりも筆の方向と厚みで“生きた顔”を彫り出したのが、この作品の真価です。

ストロークがそのまま顔の起伏を作ってるんだな。
そう、触るように描いてる。まさに“彫る絵”だね。

構図と距離――真正面に近い“迫り”
ほぼ正面、やや上目づかいの三四分正対。
肩はわずかに入る程度で切り、背景はほぼ単色に抑えて奥行きを消す。
この“近距離・正対・単純背景”の三点セットが、顔の密度を最大化します。
視線は逃げ場を失い、まなざしの湿りと口元の緊張へ直行します。

背景を消してるから、顔の時間だけが濃くなる。
そう。余計な情報を徹底的に落として“顔そのもの”に賭けてる。

《ジャガイモを食べる人々》とのつながり
同じ年に完成する代表作《ジャガイモを食べる人々》では、ホルディーナ・デ・フロートが食卓に座る姿が描かれます。
《女性の顔》はその直前に描かれた研究作であり、群像を成立させるための重要な一歩でした。
彼女の存在感は、ただのモデルではなく、ニューネン期ゴッホの世界観を象徴する“顔”そのものでした。

なるほど、この一枚が大作の基礎になってたんだ。
うん。ホルディーナはニューネン期の“顔役”だよ。

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まとめ
《女性の顔》は、ホルディーナ・デ・フロートという実在の女性を通じて、ゴッホが農民の誠実さと労働の重みを描き出した作品です。
暗い色調の中で頭巾が灯のように光り、厚い筆触が生活の現実を刻む。
後の大作《ジャガイモを食べる人々》に直結する“核”として、ニューネン期を語る上で欠かせない一枚です。

匿名じゃなく、ちゃんと人の生きた顔なんだね。
その通り。名前を持った“生活の証”が、ここに残ってるんだ。
