ルネサンスのあとに現れた「マニエリスム」という少しクセの強い様式を語るとき、パルミジャニーノの名前は必ず登場します。
なめらかな線と長く引き伸ばされた肢体、どこか夢の中のように現実離れした空間表現は、当時から「洗練された新しいスタイル」として注目されました。
一方で、彼は錬金術への熱中が原因で仕事を投げ出し、わずか37歳で亡くなったとも伝えられます。
天使のような容貌の青年画家が、才気あふれるスターから「奇人」へと転じていく人生は、作品の不思議な雰囲気とどこか重なって見えてきます。
天使みたいなイケメンが、錬金術ガチ勢になって転落って、ストーリー強すぎない?
ドラマ性MAXだよね。でも作品は本当に美しいから、そのギャップも含めて語りがいあるわ。
パルミジャニーノ
ここで簡単に人物紹介。

・本名:ジローラモ・フランチェスコ・マッツォーラ(通称パルミジャニーノ=「小さなパルマの人」)
・生没年:1503年 パルマ生まれ – 1540年 カザルマッジョーレ没(いずれも現在のイタリア)
・活動拠点:パルマ、ローマ、ボローニャなど北・中部イタリアの都市
・所属:イタリア・マニエリスムを代表する画家、素描家、版画家
・代表作:「凸面鏡の自画像」「長い首の聖母」など
小さなパルマの人”ってあだ名、かわいいのに中身が天才なのギャップすごいね。
アイドルみたいなキャッチーさあるよね。当時の人も、覚えやすいから広まったんだろうな。
マニエリスムの旗手としてのパルミジャニーノ
パルミジャニーノは、北イタリアの都市パルマで画家一族の家に生まれ、幼いころからおじたちの工房で技術を身につけました。
その才能は早くから知られており、20代前半でローマに呼ばれ、ラファエロやミケランジェロの作品を直接研究する機会を得ます。
彼が目指したのは、古典的な均整と調和に支えられた「高貴な美」を、さらに誇張し、しなやかに引き伸ばしたスタイルでした。
理想化された長い手足や、うねるようなポーズ(フィグラ・セルペンティナータ)、陶器のようになめらかな肌の質感は、のちのマニエリスム画家たちのお手本となります。
ルネサンスを“完璧に描きすぎた”から、わざと崩したくなった感じかな。
そうそう。パルミジャニーノは、その“崩し方”が上品でエレガントなのがポイントなんだよね。
代表作「凸面鏡の自画像」――21歳の野心を丸ごと閉じ込めた小さな傑作

パルミジャニーノの代表作として必ず挙がるのが、直径24センチほどの小さな板に描かれた《凸面鏡の自画像》です。
若い画家が部屋の中でこちらを見つめ、手前には異様に大きく伸びた右手が迫ってきます。
これは実際に凸面鏡に映った自分の姿を、そのまま歪みごと写し取ったもので、絵もまた、鏡と同じように膨らんだ板に描かれています。
当時、この作品はローマのパトロンたちを驚かせるための「ポートフォリオ」のような役割を担っていました。
小さな画面の中で、空間のゆがみ、顔の柔らかな光沢、繊細な髪の毛一本一本まで描き分けることで、「これだけ描けます」と高度なテクニックを一度にアピールしているのです。
名刺代わりが、こんなトリッキーな自画像って攻めすぎでしょ。
でもこれ見せられたら、『君に壁画も祭壇画も任せるわ』ってなるよね。営業力もちゃんとある。
代表作「長い首の聖母」――優雅さを追い求めたマニエリスムの象徴

晩年の代表作《長い首の聖母》は、マニエリスムの象徴のような作品です。
画面中央には、高い台座に座るマリアが、異様に長い首としなやかな体つきで描かれ、その膝には大きく成長した幼子イエスが横たわっています。
右側には若い天使たちがぎゅっと密集し、左奥には細長い列柱と、小さな聖ヒエロニムスの姿が遠近感を無視したように配置されています。
この極端なプロポーションや空間のゆがみは、自然な写実というより、むしろ優雅さと装飾性を最優先した結果と考えられます。
マリアの首は白鳥のように長く、指先は音楽家のように細くしなやかで、人物たちはこの世というより聖なる舞台の上でポーズを取っているようです。
“長い首の聖母”ってニックネーム、最初に言った人センスあるな。
しかも一度聞いたら忘れないから、検索ワード的にも強いよね。ありがたいタイトルだわ。
その他の代表作と、イタリア各地での活躍
パルミジャニーノは、凸面鏡の自画像や聖母画だけでなく、宗教画や神話画、版画など幅広いジャンルを手がけました。
若いころのローマでは聖母マリアの幻視を描いた祭壇画や、聖人たちのドラマティックな場面を制作し、ミケランジェロやラファエロからの影響を咀嚼しつつ、より流麗なスタイルへと発展させていきます。
その後パルマやボローニャに戻ると、小さな板絵や版画も多く残しました。
なかでも《長い首の聖母》と同時期の作品には、伸びやかな肢体と柔らかい光の効果を組み合わせた、成熟したマニエリスム表現が凝縮されています。
大作だけじゃなくて、小さな板絵とか版画でマニア心をくすぐってくるタイプか。
そうそう。グッズ展開までちゃんとしてる感じ。だからこそ、ヨーロッパ各地で影響力が広がったんだよね。
錬金術にはまり転落した晩年
順調に見えたキャリアの裏側で、パルミジャニーノは30代になると錬金術や化学実験にのめり込んでいきます。
当時、画家が顔料や金属を扱うことは珍しくなく、錬金術と芸術は近い領域でもありました。
しかし彼の場合、実験への情熱が仕事を上回ってしまい、パルマの教会から依頼されていた重要なフレスコ画の制作をたびたび怠ったため、最終的に契約を破棄されてしまいます。
財政的にも行き詰まった彼は地方都市カザルマッジョーレに身を寄せ、そこで37歳の若さで生涯を終えました。
晩年の素描や小作品には、それでもなお、線の優雅さと人物への鋭い観察力が保たれており、彼の才能が最後まで枯れていなかったことがうかがえます。
才能と好奇心が両方強すぎると、こういう危うさも出てくるんだね。
うん。だからこそ“マニエリスム的な生き方”って感じもする。真っすぐじゃなくて、ちょっとねじれてる。
おすすめ書籍
このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。
まとめ:歪みの中に理想の美を探したマニエリスムの象徴
パルミジャニーノは、ハイ・ルネサンスの調和と均整を土台にしながら、あえて身体を引き伸ばし、空間をゆがめることで、より洗練された美しさを追い求めた画家でした。
《凸面鏡の自画像》では、鏡の歪みをそのまま芸術に変え、
《長い首の聖母》では、現実にはありえないプロポーションを気高い優雅さへと昇華させています。
錬金術への熱中によって仕事を失い、短い生涯で幕を閉じたものの、その独特の線の美しさと大胆な変形は、後世の画家や版画家たちに長く影響を与え続けました。
パルミジャニーノって、人生ごと“ルネサンスからマニエリスムへの橋渡し”になってた感じあるね。
だね。完璧なルネサンスのあとに、ちょっと不安定で個性的な世界が来る。その入口でキラッと光ってるのが、この人ってイメージ。

