画面のほとんどを埋め尽くす深い森、その向こうにかすむ青い山なみと小さな城。
アルブレヒト・アルトドルファーの《城のある風景》は、物語の一場面ではなく「風景そのもの」を主役にした、非常に早い時期の油彩風景画です。
制作された16世紀初頭は、まだ多くの絵画が宗教画や歴史画として描かれていた時代でした。そんな中で、アルトドルファーは人物を脇役に追いやり、空や山、木々や光の表情をじっくり描き込んでいます。穏やかな夕景のような光と、どこか神秘的な森の暗がりが共存するこの作品は、のちのヨーロッパ風景画の原点のひとつとして、いまも美術史の中で特別な位置を占めています。
一見地味なのに、ずっと見ていたくなるタイプの絵だね。
そうなんだよ。派手さはないけど、風景画の歴史を動かした一枚って思うと、急に存在感が増すよね。
《城のある風景》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品名:城のある風景
作者:アルブレヒト・アルトドルファー
制作年:16世紀初頭(おそらく1520年前後)
技法:板に油彩
所蔵:アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)
アルトドルファーは、現在のドイツ南部にあたる地域で活動した画家で、「ドナウ派」と呼ばれるグループの中心人物と考えられています。ドナウ川流域の険しい山や森、劇的な空の表情を好んで描いたことから、その名が付けられました。
《城のある風景》もまさにその特徴をよく表した作品で、緑濃い森と遠景の山なみ、そして空の色の変化が、画面の主役となっています。画面の下の方には小さな道と建物が描き込まれ、人間の営みもかろうじて見て取れますが、あくまで広大な自然の中の点景として扱われているのがわかります。
タイトルに“城”ってあるけど、あくまで主役は風景なんだね。
そうそう。城はあくまでアクセントで、“人が住む世界”と“自然の世界”をつなぐ装置みたいな役割をしてる気がする。
<作者についての詳細はこちら>
・アルブレヒト・アルトドルファーを解説!風景画のパイオニアと代表作
アルトドルファーと「背景から主役になった風景」
16世紀のはじめ頃、宗教画や歴史画の背景として風景が描かれることはありましたが、風景だけを取り出して一枚の絵にする発想はまだ一般的ではありませんでした。アルトドルファーは、そうした「背景だった風景」を、画面の中心に据えた先駆的な画家です。
彼は、福音書の物語や古代史を題材にした大作も手がけましたが、その中でも特に評価されているのが、森や山を主役にした小品の風景画です。人物がほとんど登場しない作品も多く、むしろ自然の表情を通して、神の存在や世界の調和を感じさせようとしているように見えます。
《城のある風景》では、遠くの城や村がとても小さく描かれ、空と森のボリュームに圧倒されます。人間の世俗的な世界よりも、その上に広がる自然の大きさや、時間の流れの長さを強く意識させる構図になっているのです。
“神さまの物語”より、自然そのものに目を向け始めた時代ってこと?
うん。宗教画の時代から、だんだん“世界そのものが美しい”っていう感覚が生まれてきた、その変化の最前線にアルトドルファーがいた感じだね。
《城のある風景》が映し出す時間帯と空気感
この作品でもっとも印象的なのは、空の色のグラデーションです。画面上部は濃い青で、下に行くほど淡くなり、地平線近くでほのかな光がにじむように描かれています。夕方に日が沈んだあとの「残照」の時間帯か、夜明け前の静かな光のようにも見えます。
強い直射日光ではなく、柔らかく拡散した光が森や山を包み込んでいるため、画面全体にしっとりとした湿度を感じます。木々の葉の一枚一枚まで丁寧に描き込みながらも、決して硬くなりすぎず、空気ごと描き取ろうとする姿勢が伝わってきます。
アルトドルファーは、たんに「木を描く」「山を描く」のではなく、その場に漂う空気や温度、時間の感覚まで含めて表現しようとしました。空の青の深さと、遠くの山のかすみ方のバランスは、まさにその試みの結果といえるでしょう。
色数はそんなに多くないのに、空気がひんやりしてる感じまで伝わってくるね。
細部の描き込みに頼りすぎず、空のグラデーションで“時間”を描いてるのがうまいよね。
画面構成:両側の樹木がつくる“額縁”効果
構図に目を向けると、《城のある風景》は左右の高い樹木が画面を縁取るように立ち、その奥に視線が吸い込まれていきます。まるで自然そのものが額縁になっていて、その先に広がる世界を私たちに見せているかのようです。
手前には道がゆるやかにカーブを描き、その先に小さな城と集落が見えます。観る者は、あたかも森の中の小道に立っているような視点から、遠くの風景を眺めることになります。この「観る者が風景の中に入り込んでいるような視点」は、のちのバロックやロマン主義の風景画にも受け継がれていく重要な要素です。
さらに、画面の下部には暗い緑が、上部には明るい青が配されており、縦方向にもはっきりとしたコントラストが生まれています。これによって空間に奥行きが生まれ、視線が自然と遠景へと導かれていきます。
木が“カーテン”みたいに開いて、奥の景色を見せてくれてる感じする。
そうそう。手前をちょっと暗くして奥を明るくすることで、“向こう側に行ってみたい”って気持ちをかき立ててるんだと思う。
小さな城と人の気配―物語をさりげなく忍ばせる
タイトルにもある「城」は、画面の中央やや左寄り、遠くの山あいに小さく描かれています。手前の巨大な樹木に比べれば、とても控えめな存在感ですが、よく見るとそこに塔や城壁が描き込まれ、周囲には小さな家々や畑も広がっています。
この城と村の存在が、風景にさりげない物語性を与えています。森の奥にひっそりと続く道をたどっていくと、やがて城のある町に着くのだろう、そんな想像をかき立ててくれるのです。人物はほとんど見分けがつかないほど小さく描かれていますが、それでも人々の生活の気配はたしかに感じられます。
アルトドルファーは、自然の偉大さと同時に、その中で慎ましく暮らす人間の世界も忘れていません。人間は自然を支配する存在ではなく、その大きなリズムの中に身を寄せて生きている、そうした感覚が画面全体から伝わってきます。
よく見ると、ちゃんと“人が住んでる世界”も描かれてるんだね。
うん。でもあくまで自然のスケールの中に溶け込んでるのがポイントだと思う。自然と人間のバランス感覚がすごくやさしい。
おすすめ書籍
このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。
まとめ:静かな一枚が切り開いた、風景画の未来
《城のある風景》は、ドラマチックな物語も、派手な人物も出てこない一枚です。けれども、森の暗がりと空の青、遠くにかすむ城や山なみを通して、「自然そのものが絵の主題になり得る」という新しい視点を提示しました。
のちのルーベンスやレンブラント、さらに近代の風景画家たちが自由に空や森を描けるようになった背景には、こうした16世紀初頭の試みがあります。アルトドルファーは、北方ルネサンスの中で、とくに風景表現の可能性を押し広げた重要な存在だと言えるでしょう。
この小さな板絵の前に立つと、500年前の画家が「世界そのものの美しさ」を見つめていたまなざしを、そのまま覗き込んでいるような感覚になります。静かな画面の奥に潜む、風景画の“大きな一歩”をぜひ感じ取ってみてください。
派手じゃないのに、“ここから風景画が始まった”って聞くと、急に胸アツになるね。
だよね。こういう一見おとなしい作品こそ、美術史のターニングポイントだったりするから、侮れないんだよなあ。


