ジュゼッペ・アルチンボルドの《大地》は、見る人を一瞬で「えっ?」と立ち止まらせる作品です。
暗い背景の中に、ライオン、鹿、象、羊、ウサギなど、陸で生きる動物たちがぎゅうぎゅうに押し合いへし合いしながら、一人の男性の横顔を形作っています。
離れて見ると堂々とした肖像画ですが、近づくと細部の動物一匹一匹が生き生きと描き込まれている、ダブルイメージのような構造になっています。
この作品は、火・水・空気・大地を擬人化した《四元素》シリーズの一枚として、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世のために制作されました。
単なる「動物図鑑」ではなく、自然界の豊かさと、ハプスブルク帝国の権威を象徴する政治的メッセージも込められています。
一瞬“動物集合写真”なんだけど、じわじわ人の横顔にしか見えなくなってくるの不思議。
だよね。最初にこれ考えたアルチンボルド、頭の中どうなってたんだろって本気で気になる。
《大地》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品名:大地
作者:ジュゼッペ・アルチンボルド
制作年:1566年ごろ(《四元素》シリーズの一作)
技法:油彩・板(オーク材)
サイズ:およそ70cm台の胸像サイズ
連作:火・水・空気・大地を擬人化した《四元素》の一枚で、対応する《四季》シリーズでは「秋」とペアになる。
所蔵:リヒテンシュタイン公爵家コレクション(ウィーン)。19世紀までハプスブルク家の宮廷コレクションに属し、その後オーストリアの博物館を経て現在の所蔵者のもとにある。
四季だと“秋”とペアっていうの、たしかに色合いとか雰囲気が近いかも。
そうそう。実りの季節=大地の恵みっていうリンクが、ちゃんとセットで設計されてるんだよね。
<作者についての詳細はこちら>
ジュゼッペ・アルチンボルドを解説!奇想と教養が詰まった宮廷画家
アルチンボルドと《四元素》シリーズの中の《大地》
アルチンボルドはミラノで修業したのち、ウィーンとプラハでハプスブルク家の宮廷画家として活動しました。
皇帝フェルディナント1世、マクシミリアン2世、ルドルフ2世に仕え、伝統的な宗教画だけでなく、祝祭の装飾や仮装行列のデザイン、機械仕掛けの仕掛け物まで担当した「何でも屋」的な存在だったことがわかっています。
1563年には果物や花でできた《四季》を制作し、数年後の1566年に、対応する《四元素》シリーズの制作を皇帝から正式に依頼されました。
四枚はいずれも横顔の胸像として統一され、「大気=鳥」「水=海の生き物」「火=武器と炎」「大地=陸の動物」という構成で、自然界を支配する四つのエレメントを視覚化しています。
《大地》はその中で、最も密度の高い画面と言われます。
鳥や魚に比べると、哺乳類は一匹一匹の体が大きいため、限られた画面の中で顔の形を作るには高度なパズル的発想が必要でした。
アルチンボルドは、皇帝の動物園や狩猟場に出入りして実際の動物をスケッチしながら、これらを一枚の「顔」にまとめ上げています。
アルチンボルドの連作《四元素》を解説!大地・水・火・大気の4枚
宮廷のアートディレクター兼デザイナー兼イラストレーター、みたいなポジションだったんだね。
そうそう。その“何でもやる現場叩き上げ感”が、《大地》みたいな超実験作にもつながってる気がする。
動物だらけの横顔|《大地》の構図を読み解く
画面の右側から左を向く男性の横顔は、陸にすむ動物だけで組み立てられています。
頭の上には、さまざまな種類の鹿やアンテロープが重なり合い、枝分かれした角が王冠のように広がっています。
顔の中心部では、象の頭が頬と耳を形作り、その周囲を山羊やイノシシ、ウサギ、オオカミなどが埋めています。
まぶたと瞳のあたりでは、ネズミをくわえたオオカミがちょうど眼の形に配置されており、捕食の瞬間がそのまま「眼差し」になっています。
首から肩にかけては、大きな牛が横たわるように描かれ、その前にはライオンのたてがみと頭が堂々と構えています。さらに手前には羊のふさふさした毛並みが描き込まれ、マントのように人物の胸元を覆っています。
背景はほとんど真っ黒で、明るく描かれた動物たちが浮かび上がるような効果を生んでいます。
それぞれの動物は、身体の一部が切り取られて配置されているにもかかわらず、毛並みの質感や目の表情が非常にリアルで、単独の動物画としても成り立つクオリティです。
寄せ集めでありながら「上手くいきすぎている」感じが、《大地》の異様な説得力につながっています。
ライオンのたてがみが“高級ファーのマント”に見えてくるのがおもしろい。
しかもすぐ隣が羊っていう、自然界的にはかなり危険な距離感なのも地味にカオス。
ハプスブルク帝国と動物たちの象徴
《大地》の下部には、ライオンと羊が並んで配置されています。
研究者たちは、ライオンの勇敢さと羊毛(フリース)のモチーフが、ハプスブルク家が誇った騎士団「金羊毛騎士団」を暗示していると指摘しています。
金羊毛騎士団は、当時ヨーロッパで最も名誉ある騎士団のひとつで、ハプスブルク皇帝がその長を務めていました。
《四季》シリーズでは人物が身につける金羊毛の徽章として表現されますが、《大地》では動物そのものに置き換えられ、より直接的に「地上の支配」を連想させます。
さらに、鹿や象といった動物は、皇帝が各地から集めた珍しい動物コレクションをも反映しています。
宮廷の動物園には、ヨーロッパ産の獣だけでなく、遠方から運ばれたライオンや象もいたことが記録されており、アルチンボルドはそれらを直接観察する特権を与えられていました。
つまり《大地》は、「陸に生きる動物たちの肖像」であると同時に、「その大地と生きものを支配する皇帝の権威」をさりげなく讃えるプロパガンダでもあったと考えられます。
ライオンと羊がただの動物じゃなくて、“金羊毛騎士団セット”なの、知るとニヤッとしちゃう。
宮廷の人たちも、“あの勲章のことだよね?”ってニヤニヤしながら見てたんだろうね。
自然観と科学のまなざしがにじむ《大地》
アルチンボルドの作品はしばしば「奇妙」「グロテスク」と形容されますが、《大地》をよく見ると、そこには16世紀の自然科学への強い関心も読み取れます。
当時のヨーロッパでは、博物学や動物学の研究に熱が入り、王侯貴族の宮廷では「珍品陳列室(ヴンダーカンマー)」と呼ばれる自然史コレクションがブームになっていました。
動物の標本や骨格、鉱物、植物標本などを集め、それらを分類し直すことで世界の秩序を理解しようとする試みです。
《大地》は、そうしたコレクションを一度バラバラに眺め直し、再び「人間の顔」という新しい秩序に組み替えた作品とも言えます。
個々の動物は生物学的にかなり正確に描写され、毛の流れや耳のつき方まで丁寧に観察された痕跡が見て取れます。
それらを無理なく組み合わせることで「自然の多様性」と「宇宙の調和」が同時に表現されている点が、アルチンボルドの一番の妙味です。
博物館の標本をそのまま“顔に並べ替えた”みたいな感じなんだね。
うん。理科準備室とアートスタジオを合体させたらこうなりました、みたいな。
おすすめ書籍
このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。
まとめ
ジュゼッペ・アルチンボルド《大地》は、陸で生きる動物たちだけを組み合わせて人間の横顔を作り出し、鹿や象、ライオン、羊などのリアルな描写を通して自然界の豊かさを示しつつ、ライオンと羊毛のモチーフでハプスブルク家と金羊毛騎士団の権威をたたえるという、複数のレイヤーを同時に成立させた作品です。
《四元素》と《四季》のペアリングまで含めて眺めると、アルチンボルドが「自然の時間」と「帝国の秩序」をどう結びつけようとしていたのかが、少しずつ見えてきます。
奇妙さにまず笑ってしまう作品ですが、その奥には、当時の科学・政治・哲学がギュッと詰まった非常に知的な絵画世界が広がっています。
もし《大地》を見る機会があれば、まずは全体を横顔として眺め、次に一匹一匹の動物に目を移していくと、画家の観察眼とユーモアがじわじわと伝わってくるはずです。
最初は“動物モリモリの変な顔”なんだけど、背景知るとめちゃくちゃ頭のいい作品ってわかってくるね。
そうそう。笑わせながら政治と科学も語っちゃうあたり、アルチンボルドって本当に侮れない。


