ジュゼッペ・アルチンボルドの《水》は、海や川にすむ生き物だけで組み立てられた女性の横顔です。
顔の輪郭はさまざまな魚で構成され、口元にはナマズ、頬にはフグのような魚、あごにはヒラメ。
胸元には真珠のネックレスが光り、襟元にはカメやタコ、巻き貝がびっしりと敷き詰められています。
頭の上では魚とエビ、ヤドカリ、サンゴが入り混じり、まるで海中の小さな世界がそのまま髪型になったかのようです。
一歩引いて眺めると、優雅な横顔の肖像画。
しかし近づくと、海の生き物図鑑さながらのディテールに圧倒される、二重構造の絵画になっています。
この《水》は、火・空気・大地とともに描かれた《四元素》シリーズの一枚で、対応する《四季》連作では「冬」とペアを組みます。
海の豊かさと神秘性に加え、ハプスブルク帝国が支配する世界の広がりを暗示する、非常に政治的な寓意画でもあります。
一瞬ドレスアップした貴婦人なのに、よく見ると全部魚介類っていうオチが最高。
しかも真珠ネックレスまで“海の産物”でちゃんと統一してるの、芸が細かすぎる。
《水》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品名:水
作者:ジュゼッペ・アルチンボルド
制作年:1566年ごろ、《四元素》シリーズの一作として制作
技法:油彩・板(オーク材)
サイズ:約70cm台の胸像サイズ(《四元素》4点でほぼ同寸)
連作:火・空気・大地・水を擬人化した《四元素》の一枚。対応する《四季》では「冬」とペアに設定される。
所蔵:ウィーンのリヒテンシュタイン公爵家コレクション。
ちゃんと《冬》とセットで考えられてるの、シリーズ構成オタクとしてはニヤニヤしちゃう。
元素と季節がクロスする設計、16世紀の企画力とは思えないくらい完成度高いよね。
<作者についての詳細はこちら>
ジュゼッペ・アルチンボルドを解説!奇想と教養が詰まった宮廷画家
宮廷画家アルチンボルドと《四元素》シリーズの中の《水》
アルチンボルドはミラノで活動を始めたのち、神聖ローマ皇帝フェルディナント1世に招かれてウィーンへ向かい、その後はマクシミリアン2世、ルドルフ2世と三代の皇帝に仕えました。
彼は単なる肖像画家ではなく、祝祭のパレード、仮面舞踏会、花火、舞台装置、機械仕掛けの仕掛け物までデザインする、宮廷イベント全体のクリエイティブを担う存在でした。
1563年に制作された《四季》の連作が皇帝マクシミリアン2世に大好評だったことから、その「姉妹編」として火・水・空気・大地を擬人化する《四元素》が構想されます。
自然哲学で重要とされた四つのエレメントを、一人の人物像にまとめることで「皇帝の支配は自然の秩序にまで及ぶ」というメッセージを視覚的に伝える狙いがありました。
《水》はそのなかで、海洋と淡水の生き物を網羅した「水界の肖像」として位置づけられています。
同時期にヨーロッパでは新大陸航路や遠洋航海が進み、海は未知の世界と富の源という両方のイメージを持っていました。
アルチンボルドは、海の生き物たちを細密に描き込みながら、その背後に広がる世界帝国のビジョンをほのめかしていると言えます。
アルチンボルドの連作《四元素》を解説!大地・水・火・大気の4枚
皇帝からしたら、“うちの帝国、海の向こうまでおさえてます”っていう自慢のビジュアルでもあるわけか。
そうそう。単に海鮮をこねくり回しただけじゃなくて、ちゃんと地政学的なマウントも取ってくるのがずるい。
魚と貝でできた横顔|《水》の造形をくわしく見る
《水》に描かれているのは、左向きの女性の胸像です。
暗い背景の中から、冷たい銀色の魚や赤い甲殻類、ぬめった皮膚を持つ海の生き物が浮かび上がり、全体としては優雅な貴婦人のシルエットを形作っています。
額から頭頂部にかけては、さまざまな種類の小魚が重なり、髪の束のように流れています。
そこにウツボのような細長い魚や、トゲを持つ魚が混ざり、さらに赤いサンゴがヘアアクセサリーのように差し込まれています。
目のあたりでは、魚の尾びれや頭部の形がうまく組み合わされ、まぶたや眉のラインが作られています。
鼻筋は細長い魚の体で表現され、口元にはナマズのひげがさりげなく唇の輪郭として利用されています。
耳の位置には貝殻が置かれ、その下には大きな真珠のイヤリングがつり下がっています。
胸元には丸い真珠を連ねたネックレスがかけられ、その周囲にはカメやタコ、貝、ロブスターなどが、豪華なドレスのレースやブローチのように配置されています。
全体の色調は、黒に近い深い背景の中で、青みがかった銀色や鈍いオレンジ、貝殻のクリーム色が控えめに光る構成です。
きらびやかさよりも、冷たく湿った海底の雰囲気が強く、どこか不気味で、しかし目が離せない魅力を持っています。
よく見ると、イヤリングもネックレスもちゃんと“真珠”なのがにやけるポイント。
しかも、あの丸い真珠が並んだネックレスのおかげで、一気に“宮廷の貴婦人”感が出てくるのがすごいよね。
博物学ブームと《水》に描かれた海の生き物たち
16世紀後半のヨーロッパでは、動植物や鉱物を集めた「珍品陳列室(ヴンダーカンマー)」が流行し、王侯貴族たちは世界各地から集めた自然標本を競うように展示していました。
特に海の生き物は、形の奇抜さや保存の難しさもあって、貴重なコレクションとみなされていました。
アルチンボルドが仕えたハプスブルク宮廷にも、大規模な自然史コレクションがありました。
《水》に描かれた魚や貝、カニ、エビ、タコなどは、そうした標本や実物を丹念にスケッチした結果と考えられています。
鱗の光沢、ヒレの透明感、甲殻の硬さ、タコの柔らかな質感など、ひとつひとつのモチーフが驚くほど写実的です。
また、《水》には淡水魚と海水魚が混ざっていることが指摘されています。
これは、ハプスブルク帝国の領土が川・湖・海と多様な水域を含んでいたことを反映したもの、あるいは「水」という元素の支配領域を象徴するため、あえて広く選ばれたと見ることができます。
つまり《水》は、単におもしろい顔の絵ではなく、当時最先端だった博物学的知識と、帝国の地理的広がりを示す“ビジュアル図鑑”でもあるわけです。
博物館の“魚類・甲殻類コーナー全部乗せ”を、そのまま人の顔に再配置した感じだね。
しかもちゃんと種類の違いも描き分けてるから、研究者目線で見てもニヤニヤできるやつ。
《四季》とのペアリングから見える、《水》のもう一つの顔

《水》は《四季》の「冬」とセットで考えられています。
冷たさや湿気を連想させる冬と水の組み合わせは、自然哲学の考え方によく合致しています。
《冬》では枯れ木と柑橘で老人の横顔が描かれていましたが、《水》では海の生き物によってやや中性的な人物像が作られます。
いずれも暗い背景と限られた色数の中で、静かな寒さと生命の潜伏を感じさせる点が共通しています。
また、《四季》が「自然と人生の時間」を象徴していたのに対し、《四元素》は「宇宙を構成する基本要素」を表しています。
その両方を組み合わせることで、皇帝の支配は季節の移り変わりから宇宙の構造にまで及ぶ、という壮大な世界観が描き出されます。
《水》における貴婦人風のシルエットは、そうした「宇宙の力」を擬人化した存在であり、同時に宮廷文化の洗練をも映し出しています。
魚介類だらけなのに、どこか気品を感じさせるのは、アルチンボルドが人物肖像画家としても優れた技量を持っていた証拠です。
“冬と水”ペアで考えると、どっちも静かでちょっと怖い雰囲気なの納得だね。
うん。春・夏・火みたいな明るい系とは違う、“深夜テンションの宇宙”みたいな味わいがある。
おすすめ書籍
このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。
まとめ
ジュゼッペ・アルチンボルド《水》は、海や川の生き物をこれでもかというほど詰め込んで、一人の女性の横顔に仕立て上げた奇想の肖像画であり、16世紀ヨーロッパの博物学ブームとハプスブルク宮廷の自然史コレクションを反映した“水界のカタログ”であり、《四季》《四元素》という二つの連作の中で、冬とペアを組みながら宇宙の秩序と皇帝の支配を象徴する政治的寓意画でもあります。
最初はそのビジュアルのインパクトに笑ってしまいますが、一匹一匹の魚介類の描写や、真珠のアクセサリーの配置まで目で追っていくと、アルチンボルドがどれほど緻密に自然界と宮廷文化を観察していたかが、じわじわと伝わってきます。
もし実物を鑑賞する機会があれば、まずは貴婦人の横顔として全体を見たあとで、髪の中の小魚、胸元のカメ、襟元のロブスターやタコなど、細部を一つひとつ辿ってみてください。
そこには、500年たっても古びないユーモアと知性が、ぎっしりと詰め込まれています。
海鮮丼みたいな絵だなって最初は思ったけど、ここまで意味盛り盛りだとさすがに感心するわ。
でしょ。笑わせてから“実はめちゃくちゃ頭いい絵なんだよ”って後出ししてくるのが、アルチンボルドの必殺技だと思う。


