ルネサンス美術の本を開くと、必ずと言っていいほど名前が出てくるのがジョルジョ・ヴァザーリです。画家・建築家でありながら、美術家たちの伝記集『美術家列伝』(原題『最も優れた画家・彫刻家・建築家列伝』)を書き上げた人物としても有名です。
フィレンツェ公コジモ1世に仕えた宮廷芸術家として、ヴェッキオ宮殿の大広間「500人の間」を華やかな祝祭空間に変え、ウフィツィ美術館の建物を設計し、さらには回廊で宮殿どうしをつなげるなど、美術と建築の両面から街づくりに関わりました。
一方で、画家としては「アンドロメダを解放するペルセウス」のように、物語性の高いドラマチックな作品を残しています。 ルネサンス三大巨匠(レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ)を「ルネサンスの頂点」として語る枠組みも、ヴァザーリの著書が広めたものです。
ヴァザーリって、絵も建物も本も作ったってこと?マルチすぎない?
だよね。職業欄に何て書けばいいのか、本人も迷ってそうだな。
ジョルジョ・ヴァザーリ
ここで簡単に人物紹介。

・生没年:1511年生まれ〜1574年没
・出身地:イタリア中部トスカーナ地方の都市アレッツォ
・主な活動拠点:フィレンツェ、ローマなど
・肩書き:画家、建築家、デザイナー、宮廷芸術家、伝記作家
・代表的な絵画作品:「アンドロメダを解放するペルセウス」(パラッツォ・ヴェッキオ蔵)
・代表的な建築・装飾:フィレンツェのヴェッキオ宮殿「500人の間」の装飾、ウフィツィ美術館の建物と中庭の設計、パラッツォ・ヴェッキオとピッティ宮殿を結ぶ「ヴァザーリの回廊」など
・代表的な著作:『最も優れた画家・彫刻家・建築家列伝』(通称『美術家列伝』)
こうして並べてみると、ヴァザーリは一人の「作家」というよりも、街と歴史をデザインした総合プロデューサーのような存在だったことがわかります。
肩書き多すぎて、名刺が両面印刷どころじゃなさそう。
しかも全部ちゃんと仕事してるのがまたズルいんだよな。
ルネサンスの仕掛け人ヴァザーリ:メディチ家に仕えた宮廷芸術家
ヴァザーリは若い頃からフィレンツェで修行し、ローマでも古代遺跡や当時の最新の芸術に触れながら実力を伸ばしました。その後、フィレンツェ公国の支配者となったコジモ1世に見いだされ、宮廷付きの芸術家として起用されます。
コジモ1世は、フィレンツェを「ルネサンス文化の中心都市」としてアピールしたいと考えていました。そこで、都市の重要な建物の改築や装飾を任せられたのがヴァザーリです。彼は宮殿の広間を壮大な歴史画で埋め尽くし、行列や祝宴の場を舞台装置のように演出しました。ヴァザーリの絵画はしばしば、建築的な背景や秩序だてられた構図が特徴で、都市全体を「見せるための空間」として設計していたことがうかがえます。
メディチ家の広報担当みたいなポジションだったんだね。
うん。いまの感覚だと“ブランディング・ディレクター”って呼びたくなるやつ。
代表作「アンドロメダを解放するペルセウス」をざっくり紹介
ヴァザーリの代表作のひとつが、「アンドロメダを解放するペルセウス」です。ギリシア神話の英雄ペルセウスが、海の怪物にささげられそうになっていた王女アンドロメダを救い出す場面を描いた作品です。
画面には、岩に縛られた裸のアンドロメダ、その前に立つ甲冑姿のペルセウス、そして荒れた海にうごめく怪物が配置されています。遥か奥には城塞や海岸線が広がり、ヴァザーリらしい劇場的な背景が物語の緊張感を支えています。細かな人物や建築をびっしり描き込むスタイルは、同時代のマニエリスム絵画の典型的な特徴でもあります。
この作品は、フィレンツェのパラッツォ・ヴェッキオの一室を飾るために制作されました。政治の舞台となる場所に、英雄が怪物を倒して秩序を回復する物語を描くことで、メディチ家の支配を正当化するメッセージも込められていたと考えられます。
ペルセウスがアンドロメダを救う物語|ギリシャ神話の恋と戦いを美術で読み解く
ペルセウスまで宣伝に使われるの、ちょっと気の毒かも。
でもヒーローは現代でも広告に出まくってるし、時代を超えて同じことやってるよね。
ウフィツィ美術館とヴァザーリ回廊:建築家としての大仕事
フィレンツェ観光の定番スポット、ウフィツィ美術館の建物を設計したのもヴァザーリです。もともとは行政官庁をまとめるための役所(ウフィツィ=オフィス)として計画されましたが、細長い中庭と川へ抜ける眺望など、都市景観を意識したデザインが高く評価されています。
さらに、パラッツォ・ヴェッキオからウフィツィの建物を通り、アルノ川にかかるポンテ・ヴェッキオの上を渡って、対岸のピッティ宮殿へと至る「ヴァザーリの回廊」も設計しました。支配者が群衆に紛れずに移動できる秘密の通路でありながら、橋の上に張り付いたような不思議な建物は、今もフィレンツェの景観を特徴づけています。
観光で『きれい〜』って言ってる場所の裏側を作った人なんだね。
そうそう。インスタ映えスポットの“設計者”って聞くと、急に親近感わいてこない?
『美術家列伝』とは?レオナルド・ミケランジェロ・ラファエロの物語を編んだ本
ヴァザーリの名を決定的にしたのが、1550年に刊行された『最も優れた画家・彫刻家・建築家列伝』です。後に増補版も出ており、古代から自分の同時代に至るまでのイタリア芸術家の伝記を、年代順に並べた大部の書物でした。
この本の中でヴァザーリは、ロマネスクやゴシック以前を「未熟な時代」とし、ジオットから始まる発展の過程を経て、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの三人によってルネサンス芸術が頂点に達した、というストーリーで語ります。いわゆる「ルネサンス三大巨匠」という考え方は、ここから広く定着していきました。
もちろん、トスカーナ地方や自分の気に入った芸術家を高く評価しすぎるなど、現代の視点から見ると偏りもあります。それでも、作品の所在や制作事情、当時のエピソードなど、ヴァザーリが書き残した情報がなければ分からなかったことは数えきれません。『美術家列伝』は、ヨーロッパ美術史の“原点”として今も参照され続けています。
三大巨匠って、ヴァザーリが“物語として”並べた結果なんだね。
うん。歴史って、事実だけじゃなくて、誰かがどう並べて語るかで形が決まるんだなって感じるよ。
現代から見るヴァザーリ:評価とおもしろさ
ヴァザーリの絵は、ミケランジェロやティツィアーノのような圧倒的名作と比べると、展覧会で主役になることは多くありません。それでも、複雑な構図や建築的な背景、きらびやかな色彩には、16世紀イタリアの宮廷文化の雰囲気が色濃く反映されています。
建築家としては、ウフィツィ美術館やヴァザーリ回廊など、都市に溶け込んだ作品を通じて、今も私たちの視界の中に生き続けています。そして何より、『美術家列伝』によって「芸術家」という存在が一人の主人公として浮かび上がり、その生涯や性格まで含めて語られるようになったことは、美術の見方を大きく変えました。
ジョルジョ・ヴァザーリは、名画の作者というより、ルネサンスという時代そのものを編集してみせた“美術史のストーリーテラー”だったと言えるでしょう。
作品そのものより、時代の空気をデザインした人って感じだね。
そうだね。もし今生きてたら、たぶんドキュメンタリー番組とか配信チャンネルをプロデュースしてそう。
おすすめ書籍
このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。
まとめ|ジョルジョ・ヴァザーリが残した“時代そのもの”という作品
ジョルジョ・ヴァザーリは、一人の画家としてだけでなく、建築家、都市デザイナー、そして美術史を書き上げた語り手として、ルネサンスという大きな物語の基礎を形づくった人物でした。
「アンドロメダを解放するペルセウス」に見られる劇場的な構成、ヴェッキオ宮殿やウフィツィ美術館の建築に見える空間演出、そして『美術家列伝』における歴史の再編。
これらはすべて、ヴァザーリが“時代をどう見せるか”を徹底的に考え抜いた結果と言えます。
彼の筆がなければ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロが「三大巨匠」として語り継がれることも、フィレンツェが“ルネサンスの中心”として認識され続けることも、今日ほど明確ではなかったかもしれません。
芸術作品・建築・書物のすべてを通して、ヴァザーリは「美術とは人々の記憶をつくり、文化を形づくる力を持つ」ということを示しました。
彼が残したものは、一枚の絵や一つの建物を超え、ルネサンスという時代そのものを編集した“巨大な作品”だったのです。
ヴァザーリって、作品よりも“時代”が代表作みたいな人だね。
ほんとそれ。歴史のディレクターみたいな人って、なかなか他にいないよ。


