あなたは、テオドール・キッテルセンという名前を聞いたことがありますか?
もしかすると『北欧の神秘展』に行って彼を知ってこの記事に来たという人も多いのではないでしょうか?
彼は19世紀のノルウェーで活躍した画家であり、その作品は今もなお多くの人々を魅了しています。
しかし、彼の人生や作品には数々の謎が存在し、その真実に迫ることは容易ではありません。
今回は、テオドール・キッテルセンについて深く探求し、その謎に迫ってみたいと思います。
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テオドール・キッテルセンについて
生没年:1865~1947年
出身:ノルウェー、クラゲリュー
代表作:
・『水の精』
・『白い熊の王ヴァレモン』
・『New Year’s New Moon』
同世代の画家:
・エドヴァルド・ムンク
(1863~1944年)
・エウシェン王子
(1865~1947年)
テオドール・キッテルセンは、ノルウェー南部ブラッツベルグ県の沿岸の町、クラーゲリョーで生まれました。
父親は彼の幼少期に亡くなり、8人の子供を残しての貧困生活でした。
そのため、11歳のキッテルセンは時計職人の弟子となりました。
しかし、17歳の頃、ディートリヒ・マリア・オールによって才能が発掘され、クリスチャニアのヴィルヘルム・フォン・ハンノの芸術学校に進学する機会を得ました。
さらにオールの手厚い支援により、ミュンヘンにも留学することができました。
1879年にオールの支援が打ち切られると、キッテルセンは新聞や雑誌の製図工として働き生計を立てなければなりませんでした。
1882年からはパリに留学し、芸術を学びました。
1887年にノルウェーに戻ると、ノルウェーの自然からインスピレーションを受けるようになりました。この頃から、描いた絵画に文章を添えるようになりました。
1899年からは、ノルウェー南部のブスケルー県プレストフォスの近くにある自宅兼アトリエ「ラウヴリア」で生活を始めました。
この期間中、ノルウェー民話集の挿絵を手がけるなど、最も良い芸術活動を行いました。
1908年にはノルウェー王国の聖オラフ勲章を受章しナイトの称号を得ましたが、間もなく体調を崩し、1910年にはラウヴリアを売却せざるを得なくなりました。
1914年1月14日、ノルウェー南部のエストフォル県モス近くのイェロヤで56歳の生涯を閉じました。
キッテルセンの絵画は、ロマン主義とナイーブ・ペインティングの間に位置づけられ、ノルウェーでは高い評価を受けています。
一方で、国際的な評価は必ずしも高くなく、ノルウェー国外ではあまり知られていない画家でもあります。
作品紹介『ソリア・モリア城』
ここからは、テオドール・キッテルセンの中でも興味深い『ソリア・モリア城』の絵をご紹介します。
話の内容など詳しいことは別記事で開設予定なので少しお待ちください!
第一話:『アスケラッド』
第二話:『はるか遠くでソリア・モリア城が黄金のように輝いていた』
第三話:『アスケラッドとキツネ』
第四話:『アスケラッドと熊』
第五話:『アスケラッドとオオカミ』
第六話:『アスケラッドとトロル』
第七話:『ソリア・モリア城』
第八話:『アスケラッドとドラゴン』
第九話『アスケラッドと黄金の島』
第十話『トロルのシラミ取りをする姫』
第十一話『アスケラッドはトロルの頭を切り落とす』
第十二話『姫とアスケラッドの結婚』
まとめ
テオドール・キッテルセンの作品は、美しさと哲学的なメッセージを兼ね備えており、私たちに深い感銘を与えます。
彼の人生や作品には多くの謎が存在し、その真実に迫ることは容易ではありません。しかし、彼の作品を通じて私たちは彼の内面に触れることができるのかもしれません。
テオドール・キッテルセンの世界を探求してみることで、私たち自身の心に響く何かを見つけるかもしれません。
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