机の上に投げ出された一足の古い革靴。
ほどけた紐、すり減ったつま先、くたりと倒れた筒──光沢の残る革の凹凸に、歩いてきた日々が沈んでいます。
1886年、パリに移って間もない頃に描かれた《靴》は、華やかな都会の光よりも、使い古しの道具に宿る記憶へ目を向けた静物画です。
色は控えめで、画面全体を暗い土のトーンが支配します。そこに厚い絵具のタッチが重なり、革の手触りがほとんど触覚として立ち上がります。
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ただの靴なのに、やたらドラマがあるね。
モチーフは小さくても、時間の重さはでかいんだ。

《靴》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品名:靴
制作年:1886年
制作地:パリ
技法:油彩/カンヴァス
主題:使い古した革靴一足(ほどけた紐、強い光沢と摩耗の描写)
備考:ゴッホは“靴”を繰り返し描いており、革靴だけの作例も六点ほど残るとされます

やっぱり一回きりじゃないんだ。
うん。少しずつ角度も質感も変えて、しつこく描いてる。

パリ到着直後の“最初の靴”
パリへ出てきたゴッホは、すぐに身の回りの小さなものをモデルにして描き始めました。
この《靴》は、その初期に描かれた革靴の一例で、いまだ印象派の明るさに全面的には寄り添わず、オランダ時代の暗調を引きずった筆致が残ります。
背景はグレーと緑がかった土色の層で、都会の光よりも“物の重さ”に意識が向いていることが伝わります。

移住しても、いきなりキラキラにはならないんだね。
そう、身体に染みた土のパレットは、すぐには抜けないんだ。

友人の回想に残る“泥だらけの靴”
後年、知人画家が回想のなかで語ったところによれば、ゴッホは蚤の市で手に入れた古靴をわざわざ雨の日に履き、泥が付くまで歩き回ったといいます。
「そのほうが面白くなる」と笑ってから、アトリエでキャンバスに向かった――という趣旨の証言です。
このエピソードを、そのまま本作に結びつける確証はありませんが、摩耗と汚れを“履歴”として描くという彼の意図を、もっとも雄弁に物語っています。

“汚れ”を付け加えるんじゃなくて、現場で作ってくるのか。
うん、モチーフに時間を纏わせる手っ取り早い方法だよね。

構図とマチエール|革の凹凸を厚塗りで
靴はほぼ正面寄りの近距離で置かれ、片方の紐がほどけて手前に流れます。
つま先や甲の光沢は、厚いインパストと、暗緑〜黒〜黄土の微妙な色替えで作られ、磨耗した皺は筆の方向を変えて刻まれます。
影は黒で潰さず、緑がかった土色でにじませるため、机の面に湿った空気が残ります。

筆の向きがそのまま“皺”になってるのが見える。
タッチが造形を作るって、こういうことだね。

色調と光|“暗い土の色”に宿る余韻
パリ期の後年に見られる高明度の分割筆触は、ここではまだ控えめです。
背景と床はグレー〜オリーブの地にわずかな黄土が混じり、鈍い光が靴の革にだけ強く反射します。
画面の派手さを抑えることで、観る者の視線は自然に履き口・つま先・解けた紐へ吸い寄せられます。

静かな明るさだから、光ってるところが際立つんだ。
うん。全体を落として、ハイライトに意味を持たせてる。

モチーフの意味|労働、旅、そして“自己像”
ゴッホにとって靴は、働く身体と移動する人生の象徴でした。
ニューネンで農民の手や顔を描いた延長線上で、履き古しの靴は“仕事の痕跡そのもの”として扱われます。
さらに、画家自身の旅路や孤独を重ね合わせた静かな自画像のようにも読めます。小物なのに、人格が宿るのです。

確かに、顔がなくても人が見える。
そう、“持ち主不在の肖像画”ってやつだ。

連作としての《靴》と、その後
“靴”はこの後も繰り返し描かれ、角度や光の違うヴァリアントがいくつも残りました。
パリ後期には色調が次第に明るくなり、のちのアルルでは対象の輪郭や色面がさらに簡潔になります。
それでも、この1886年作が持つ重さと静けさは唯一無二で、シリーズ全体の“原点”として見えてきます。

最初期の鈍い光、やっぱり忘れがたい。
うん。派手さの前に、沈黙で語る回が一度必要なんだ。

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まとめ|小さなものに託した“大きな履歴”
《靴》は、移住直後のゴッホが、都会の眩しさではなくものの履歴にカメラを向けた作品です。
暗い土色、厚い絵肌、ほどけた紐。そのすべてが、歩き続ける生の重みを静かに伝えます。
後年の明るいパレットを知っていても、この一枚の沈黙は、なお胸に残り続けます。

見終わって、コツコツって足音がしばらく消えない。
だよね。絵の外側で続く物語まで、想像させてくれるんだ。

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