青い背景の前に、白い女神の胴体だけがぽつりと据えられています。
頭も腕も欠けているのに、胸から腹部へ移る丸みが静かに呼吸し、台座の円が波紋のように形を支えています。
1886年6月、パリで描かれた《ヴィーナスのトルソ》は、油絵の厚みを最小限に抑え、光がつくる面の移ろいを学ぶために取り組まれた小品です。習作という言葉では片づけられない、集中した観察の痕跡がそのまま画面になっています。
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」で来日する作品です。
【生涯を知りたい方はこちらがおすすめ】
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派手さはないのに、形がグイっと立つね。
余計な情報を削ると、光の流れが見えてくるんだよ。

《ヴィーナスのトルソ》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品名:ヴィーナスのトルソ(Torso of Venus)
制作:1886年6月、パリ
技法・支持体:油彩/厚紙(oil on cardboard)
サイズ:約46.4 × 38.1 cm
所蔵:ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)

キャンバスじゃなくて厚紙なんだ。
機動力重視。練習を回すには軽くて早いのがいいんだ。

1886年パリでの“石膏修行”——コルモンのアトリエと自宅アトリエ
パリに出たゴッホは、まず歴史画家フェルナン・コルモンのアトリエに通い、石膏像のデッサンや油彩の講評を受けはじめます。
同時に、テオのアパルトマンに作業場を設け、自宅でも石膏像を使った練習を繰り返しました。ヌードモデルを常に確保できるわけではないため、動かない石膏像は光とボリュームを読むには最適だったのです。
この時期には石膏像を題材にした素描が三十点余、油彩が十数点残り、ゴッホがかなりの数の小型石膏像を自前で入手していたことも分かっています。壊れやすい実物の代わりに、のちに同型の像を博物館が補った例も報告されています。
また、前年のアントワープでは王立美術アカデミーで石膏像のコースに短期在籍しましたが、画一的な手順に満足できず、パリでは自分流の観察と色の研究へ切り替えています。

動かないモデルで、光の癖を体に覚えさせたってことね。
そう。“石膏で基礎、現場で応用”の二段構えだよ。

モチーフと構図——欠落の美学で、曲線を際立たせる
視点はわずかに上から。肩の断面、胸の起伏、腹のやわらかな折れをS字の流れでつなぎ、形の見せ場を背面ではなく前面に集めています。
頭部や四肢がないことは、情報の欠落ではなく、胴体そのものを読むための省略として働きます。台座の円と背景の筆致が、像の白を押し上げる“舞台”になっています。

無い部分が多いのに、むしろ身体の重みが伝わる。
削るほど、必要な線と面がくっきりするんだ。

絵具と色——“薄塗り+限定色”で石膏の粉気を残す
このトルソは、青〜青緑の背景に、白とごく淡い黄・灰を重ねた少色主義で組み立てられています。
影を黒で固めず、冷たい青と温かい白の温度差で起伏を示すため、石膏特有の粉っぽさが損なわれません。厚紙に素早く置いたストロークは、当時ゴッホが多用した速乾の薄塗り(エッセンス系)のワークフローを思わせます。

色数が少ないのに、光の厚みはちゃんとある。
色の“温度”をずらすと、立体がにじみ出てくるんだよ。

連作の中での位置づけ——基礎から“応用”へ
石膏トルソの連作は、のちの人物・花・風景に直結します。
例えば1887年の《後ろ姿のトルソ(女)》では、さらに色を絞って青と白の対話を徹底。一方、同年の風景や静物では、ここで得た面の把握と明度コントロールを、明るい屋外光へ展開していくことになります。
《ヴィーナスのトルソ》は、その出発点で**「量塊を色で作る」**というゴッホのやり方を確立させた一枚です。

石膏の練習が、花や空の明るさにも効いてるわけだ。
うん、基礎は地味だけど、あとで全部の土台になる。

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まとめ——静かな像が教える、絵の呼吸
《ヴィーナスのトルソ》は、装飾を排し、光の面だけに集中したパリ初期の研究作です。
限定色・薄塗り・素早い筆運びで、重さと柔らかさを同時に立ち上げる。
“石膏の静けさ”を通して、ゴッホが絵の呼吸を取り戻していく瞬間が、ここに封じ込められています。

静かな練習に、のちの爆発の種があるね。
だよね。静かに積んだ時間ほど、絵を遠くまで運ぶんだ。

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