オーヴェール=シュル=オワーズに移った1890年、ゴッホはガシェ医師の家で出会った若い娘マルグリッドを、鍵盤に向かう横顔で捉えました。
緑の壁紙に小さな点が踊り、白いドレスの襞が波打つように流れます。絵の中に音が満ち、静かな室内にだけ聞こえるリズムが、太いタッチで可視化されているようです。
“音”を“色とストローク”で描いたこの肖像は、短いオーヴェール滞在の核心を語る一枚です。
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この壁の点々、まるでメトロノームのカチカチだね
うん、音が跳ねる感じを色の粒で置いてる。静かなのに動いてるよな
《ピアノを弾くマルグリッド・ガシェ》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品名:ピアノを弾くマルグリッド・ガシェ
制作年/場所:1890年、オーヴェール=シュル=オワーズ
技法・素材:油彩/カンヴァス
サイズ:約102.6×50cm(縦長)
所蔵:バーゼル市立美術館(スイス)
縦に長いのが効いてる。鍵盤から背筋までスッと伸びるね
縦長フォーマットは音の“高さ”も感じさせる。低音から高音へ上がっていくみたいだ
<同年代に描かれた作品まとめ>
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ガシェ家との出会いとモデル
オーヴェールでゴッホを支えたのが、医師でありアマチュア画家でもあったポール・ガシェです。彼の家はゴッホにとって制作と交流の拠点となり、家族をモデルにした作品がいくつか生まれました。マルグリッドはその長女で、ここでは楽譜に目を落とし、集中の気配を漂わせています。
彼女を描いた作例には、庭で前景の葉陰に佇む姿を捉えたものもあり、室内と屋外、二つの場面が互いを補い合う関係にあります。本作はそのうちの“室内楽”に相当する静かな肖像です。
ガシェ家って、居心地のよさが絵から伝わってくるよ
安心感がある場所だから、筆触も呼吸が深い。
人の家の温度がそのまま画面温度になる
構図と色彩――縦長画面、音符のような点描
画面は鍵盤から背筋までを対角線でつなぐように設計され、手の動きと椅子のカーブが反復してリズムを作ります。背景の黄緑には小粒の赤橙が規則正しく散らされ、点の集合が“聴覚の粒立ち”を思わせます。
白いドレスは単なる白ではありません。ラベンダー、レモン、薄桃、青緑が重なり、ストロークごとに微妙な温度差を帯びます。鍵盤の黒と髪の褐色は、和声のように全体を落ち着かせ、強弱(ディナーミク)をつけています。
小さな赤い点が、耳にチリチリって残る感じ
そうそう。点が“音の残響”。線は“旋律”。
塗りの厚みは“強弱記号”みたいなもんだ
マルグリッド像に漂う緊張と礼節
彼女の視線は譜面へ、口元は引き締まり、姿勢は端正です。感情を直截に誇張しない代わりに、頬の緑がかった影やこめかみの黄色いハイライトが、集中と緊張をそっと示します。
横顔にしたことで、画家とモデルの距離感は保たれ、室内の私的な空気と、肖像画の礼節のバランスが生まれています。ゴッホの筆は激しさだけではなく、相手への敬意を含む“静かな音量”を弾けることを、この一枚が証明します。
横顔って、感情は静かだけど、芯は強いよね
真正面で語らないぶん、光と色が語る。そこに敬意が宿るんだ
オーヴェール期の流れの中で
オーヴェールの約70日で、ゴッホは風景・肖像・静物を怒涛のペースで制作しました。ガシェ家を題材にした連作はその重要な柱です。
《ピアノを弾くマルグリッド・ガシェ》は、縦長のフォーマット、反復する点と線、抑えた室内色など、同時期の他作(たとえば麦畑や教会の景)とは別種の“静のスケール”を担い、短い晩年の幅を示す役目を果たしています。
外の麦畑が“フォルテ”なら、これは“ピアノ”の音量だ
どっちも必要。楽章が違うだけで、同じ交響曲の中にある
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まとめ――“音の見える肖像”としての価値
鍵盤へ伸びる指、立ちのぼる点のリズム、襞のうねり。ここでは音楽の時間が、絵画の筆触に変換されています。
ガシェ家の温もりと、別れの季節を前にした緊張感。その二つが同居することで、作品は優しさと強さを同時に纏います。オーヴェール期を語るうえで欠かせない、“音が見える”稀有な肖像画です。
静かなのに、見てると胸の中が鳴るんだよね
それがこの絵の芯。音が止んでも、色が鳴り続ける
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