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ボッティチェリの《誹謗》を解説!今と変わらぬ「デマ」の恐ろしさ

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イタリア・ルネサンス
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サンドロ・ボッティチェリの《誹謗》は、同じ画家の《》《ヴィーナスの誕生》と比べると知名度は高くありませんが、内容の濃さでは決して引けを取りません。

豪華な大理石の建築空間の中で、玉座の王と取り巻きたちが右側に並び、中央では数字の入れ替えゲームのように、人物同士が複雑にもつれ合っています。左では、無実の若者が引きずられ、さらにその向こうに、黒衣をまとった老女と、裸の女性が静かに立っています。眺めているだけでは何が起きているのか分かりにくいこの光景こそ、「誹謗」という目に見えない暴力を、擬人化して描いた寓意画です。

この主題は、古代ギリシアの画家アペレスが、自分に向けられた濡れ衣への怒りを込めて描いた失われた絵画に由来します。その絵を文章で詳しく説明したルキアノスのテキストを、ボッティチェリが15世紀末フィレンツェで読み、自分の時代の問題として描き直したのがこの作品です。

派手な神話画のイメージが強いボッティチェリですが、《誹謗》は晩年の内省的な一枚であり、サヴォナローラによる宗教的な熱狂が支配していたフィレンツェの空気も反映していると考えられています。

ぬい
ぬい

春とかヴィーナスのキラキラした世界とは、かなり雰囲気違うよね。

うん。“デマに踊らされる人間の怖さ”をこんなにビジュアル化した絵って、今見てもかなり刺さる。

レゴッホ
レゴッホ
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《誹謗》

まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品詳細

・作品名:誹謗(カリュムニー
・作者:サンドロ・ボッティチェリ(Sandro Botticelli, 1445〜1510年)
・制作年:1494〜1495年頃
・技法:板にテンペラ
・サイズ:縦約62cm × 横約91cm
・所蔵:ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
・成立背景:古代画家アペレスの失われた絵画を、ルキアノスの文章による描写をもとにルネサンス期に再創造したもの

ぬい
ぬい

意外とコンパクトなサイズなんだね。巨大壁画みたいなイメージあった。

そうそう。だからこそ細部までぎっしり情報詰め込まれてて、近くでじっくり見るタイプの絵なんだと思う。

レゴッホ
レゴッホ

<作者についての詳細はこちら>

サンドロ・ボッティチェリを解説!代表作は?シモネッタって何?

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ボッティチェリ晩年の転換点としての《誹謗》

《誹謗》が描かれた1490年代半ばのフィレンツェは、メディチ家が追放され、修道士サヴォナローラの宗教改革的な説教が街を揺らしていた時期でした。華やかな宮廷文化と人文主義のムードが一気に冷え込み、世俗的な享楽を罪深いものとみなす空気が強まっていきます。

ボッティチェリ自身も、この流れの中で次第に内面的・宗教的なテーマに傾き、画風も《春》や《ヴィーナスの誕生》のような伸びやかな線から、より硬質で陰影の強い、表情豊かなスタイルへと変化していきました。その「分かれ目」と評される作品の一つが《誹謗》です。

豪華な装飾建築に囲まれながらも、登場人物の顔には喜びがほとんど見られません。むしろ嫉妬、怒り、混乱、絶望といった感情が、ポーズと視線の方向によって強く表現されています。女神や春の妖精ではなく、「誹謗」「無知」「真理」といった抽象的な概念を擬人化することで、ボッティチェリは自分の時代を批評する鋭い寓意画を作り上げました。

ぬい
ぬい

同じ人が描いたとは思えないくらい、テンションの方向が違うよね。

でも輪郭線のリズムとか、布のひらめき方はやっぱりボッティチェリで、“明るい世界観の才能をあえてダークに使った”感じがする。

レゴッホ
レゴッホ
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古代画家アペレスの物語と、ボッティチェリの共感

この絵の元ネタは、紀元前4世紀の画家アペレスにまつわる逸話です。古代の作家ルキアノスによれば、アペレスはライバルに陰謀の濡れ衣を着せられ、王プトレマイオスに死刑寸前まで追い詰められます。しかし最後には真犯人の嘘が暴かれ、アペレスの無実が証明されました。彼はその経験を絵にして、誹謗の恐ろしさを忘れないようにしたと言われます。

ルネサンス期には、このアペレスの絵が失われていることがすでに知られていましたが、ルキアノスの文章による詳細な「言葉の絵」が残っていたため、知識人のあいだでしばしば話題になります。画論家アルベルティは、画家たちにこの主題を再現することを奨励し、実際に何人かの画家が挑戦しました。その中でも、最も緻密でドラマティックな解釈を示したのがボッティチェリだと評価されています。

ボッティチェリ自身が具体的に誰かに誹謗された記録はありませんが、メディチ家に近かった彼が政治情勢の変化のなかで不安を抱いていたことは想像できます。真実がねじ曲げられ、噂やプロパガンダが人を滅ぼす状況を、「古代の物語」の皮をかぶせて現代の問題として語ったとも考えられます。

ぬい
ぬい

要するに、“デマで人生ぶっ壊されかけた画家の話”にボッティチェリが共感したわけだ。

今風に言うと、“フェイクニュースにキレたクリエイターが、怒りを作品で表現した”って感じだよね。

レゴッホ
レゴッホ
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右から左へ読む絵物語|擬人化された登場人物たち

《誹謗》は、基本的に右から左へと物語が進むよう構成されています。

右の玉座には王が座り、その耳元で二人の女性が何かを囁いています。王はギリシア神話のミダス王になぞらえられ、大きなロバ耳が隠されている設定です。囁いている二人は「無知」と「猜疑心」の擬人化で、情報を正しく判断できない王が、悪意あるささやきに耳を傾けていることを示します。

王の前方には、やせ細った男性「嫉妬」が立ち、王を煽るように手を伸ばしています。その先にいるのが、この絵のタイトルになっている美しい女性「誹謗」です。彼女は片手に松明を持ち、もう片方の手で若者の髪をつかみ、引きずっています。見た目は華やかで魅力的ですが、していることは暴力そのものです。この二面性が、甘い言葉で人を操る誹謗の危険さをよく表しています。

誹謗の髪を整えている二人の女性は「欺瞞」と「詐欺」です。誹謗の行為に、もっともらしい見た目と理屈を与える役割を担っています。引きずられている若者こそ「被害者」であり、その表情と身体は恐怖と絶望でこわばっています。近年、この若者の体つきが異様にやせ細っていることから、ボッティチェリが実在の病人をモデルにしたのではないかという医学的な考察も出されています。

ぬい
ぬい

名前聞くだけでメンタル削られるメンバー構成だな…無知・猜疑・嫉妬・誹謗・欺瞞・詐欺。

人間関係でこれ全部そろったら、そりゃ誰でも破滅するわっていうラインナップだよね。

レゴッホ
レゴッホ
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左側の黒衣と裸婦|悔恨と「裸の真実」

画面左側に目を移すと、黒いローブに身を包んだ老女が、うつむき加減に歩いています。そのすぐ後ろには、何も身につけていない裸の若い女性が、片手で自らの身体を隠しつつ、もう片方の腕を天に向けて掲げています。

黒衣の老女は「悔恨(後悔)」の擬人化です。誹謗が行われた後にようやく事の重大さに気づき、遅すぎる後悔に苛まれる姿を表しています。一方、その後ろにいる裸婦は「真理(ヌーダ・ヴェリタス)」です。最近の研究では、この真理の姿が《ヴィーナスの誕生》の女神を思わせるポーズで描かれていることが指摘されており、ボッティチェリが過去の自作をあえて引用したと考えられています。

真理の身体には一切の装飾がありません。衣服も宝石も持たず、ただ腕を高く上げて「見ている者」と「天」に向かって訴えかけています。誹謗によって傷つけられた人が名誉を回復するには時間がかかるものの、最後に残るのは裸の真実だけだという、人文主義的なメッセージが読み取れます。

ぬい
ぬい

右側が“誹謗オールスターズ”だとしたら、左は“バッドエンド後にやってくる二人”って感じだね。

そうだね。真理さんが最後に出てきても、もう被害者はボロボロっていうのが、余計にリアルで刺さる。

レゴッホ
レゴッホ
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建築空間とレリーフが語る古典世界と権力の重さ

人物たちを包む建築空間も、この絵を理解するうえで重要です。大理石のアーチとニッチには、古代風の彫像がずらりと並び、壁面には戦闘や行列、神話的な場面を描いたレリーフが細かく彫り込まれています。これらは、古典古代の英雄や徳目を象徴する装飾であり、「本来あるべき正義と秩序」の理想像を背景として示していると解釈できます。

しかし、その壮麗な装飾に囲まれて行われているのは、きわめて不正義な裁きです。つまりボッティチェリは、「立派な制度や伝統に見えても、中身が腐れば簡単に誹謗とデマの舞台になる」という皮肉を込めているとも読めます。

玉座に座る王の背後には、武装した騎士像が配置され、力による支配と戦争の影もちらつきます。政治的な権力が偏った情報に操られるとき、どれほど危険な結果を生むのかを、ボッティチェリは架空の王国を通して描き出しているのです。

ぬい
ぬい

背景のレリーフ、ちゃんと見るとめちゃくちゃ細かいよね。小さな神話劇場がびっしり。

その“理想の古代世界”の前で、現代人がみっともなく争ってるって構図が、痛烈な自己ツッコミみたいでおもしろい。

レゴッホ
レゴッホ
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おすすめ書籍

このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。

まとめ|古代の物語で語る、現代にも通じる「誹謗中傷」のメカニズム

サンドロ・ボッティチェリの《誹謗》は、華やかな装飾建築と優雅な人物たちが登場しながら、テーマそのものは非常にシビアです。

右側には無知と猜疑に囲まれた王と、嫉妬・誹謗・欺瞞・詐欺といった負の感情が並び、無実の若者が引きずられていきます。左側には、遅れて訪れる悔恨と、最後に姿を現す裸の真理が立っています。全体を見渡すと、噂が生まれ、飾り立てられ、権力者に届き、被害者を追い詰め、時間が経ってからようやく真実が姿を現すという、誹謗中傷のプロセスが一枚の絵の中で視覚化されていることがわかります。

ボッティチェリは、古代画家アペレスの物語とルキアノスの文章を手がかりに、自分の時代のフィレンツェ社会が抱える不安や不信を、寓意画として描き出しました。そのメッセージは、SNSやフェイクニュースが問題になる現代にも驚くほどそのまま当てはまります。

ウフィツィ美術館でこの作品と向き合うとき、ただ「難しそうな寓意画」と身構えるのではなく、「人がデマに踊らされるメカニズムを、ボッティチェリが一生懸命可視化してくれた図解」として見てみると、ぐっと身近に感じられるはずです。

ぬい
ぬい

まとめてみると、“誹謗中傷あるある”を全部詰め込んだタイムライン図みたいな絵だね。

ほんとそれ。500年前から人間のやらかし方があんまり変わってないってところが、ちょっと笑えないけど、だからこそこの絵が今見ても刺さるんだろうな。

レゴッホ
レゴッホ
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