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ジョルジョーネの代表作《嵐(ラ・テンペスタ)》をわかりやすく解説

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イタリア・ルネサンス
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ヴェネツィア派の巨匠ジョルジョーネの《嵐(ラ・テンペスタ)》は、西洋美術史の中でも「意味が分からないのに名作」としてしばしば名前が挙がる作品です。

川べりに立つ若い男、対岸で赤ん坊に授乳する裸婦、そして背景には雷光が走る空と静かな町並み。宗教画のようにも神話画のようにも見えるのに、どの定番ストーリーにもすっきり当てはまりません。

それでもこの小さな一枚は、後のティツィアーノたちに大きな影響を与え、風景画の歴史を変えたと評価されています。ここでは、作品の基本情報から構図の特徴、謎に満ちた主題の解釈、ヴェネツィアという都市との関係までを丁寧にたどっていきます。

ぬい
ぬい

パッと見、何の場面か全然分からないのに、めちゃくちゃ気になっちゃう絵だね。

そうなんだよ。分からなさが逆に魅力になってるタイプの名作ってやつだね。

レゴッホ
レゴッホ
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《嵐(ラ・テンペスタ)》

まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品詳細

作者:ジョルジョーネ

タイトル:《嵐(ラ・テンペスタ)》

制作年:おおよそ1503〜1509年のあいだ(多くの研究では1505年前後とされる)

技法:カンヴァスに油彩

サイズ:約82〜83 × 73cm

所蔵:ヴェネツィア、アカデミア美術館

由来:ヴェネツィアの名家ヴェンドラミン家の一員、ガブリエーレ・ヴェンドラミンの依頼作と考えられている

ぬい
ぬい

サイズ見ると、思ったより小さい絵なんだね。

そうそう。現物は“こじんまりなのに世界観デカい”って感じでギャップがすごいよ。

レゴッホ
レゴッホ

<作者についての詳細はこちら>

ジョルジョーネを解説!盛期ルネサンスの画家の謎多き短い生涯

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ジョルジョーネ《嵐》とはどんな絵か:風景が主役のルネサンス絵画

画面をざっと眺めると、まず目に入るのは深い緑と青に包まれた風景です。手前には小川と草むら、その向こうに川が流れ、細い橋が架かり、さらに奥には城壁に囲まれた町が見えます。空には暗い雲が垂れこめ、稲妻が走り、まさに嵐が迫ってくる瞬間がとらえられています。

人物は二人しかいません。左には杖を持ち、派手な袖の上着をまとった若い男が立ち、対岸を見守るようにこちらを振り返っています。右には白い布を肩にかけた裸婦が腰を下ろし、腕に抱いた赤ん坊に授乳しています。そのそばには、荒い筆致で描かれた低木が、ささやかな目隠しのように生えています。

この作品が革新的だったのは、物語を語る「主役」が人物ではなく風景そのものになっている点です。ルネサンスの多くの絵画では、風景はあくまで背景でした。しかし《嵐》では、空の光、川面に映る町並み、木々の揺らぎが画面の大部分を占め、見る者の視線をゆっくりと奥へ導きます。その中に人間の小さなドラマが静かに置かれているような構図は、後のヴェネツィア風景画の出発点とみなされています。

ぬい
ぬい

人物より空とか木のほうが“主役感”あるの、当時としてはかなり攻めてたってこと?

そうだね。ジョルジョーネは“風景で感情を語る”っていう新しい方向性を本気で試してたんだと思う。

レゴッホ
レゴッホ
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構図と色彩:静けさと不安が同居する画面づくり

《嵐》の構図は、一見自由に見えますが、実はかなり計算されています。川が手前から奥へ斜めに流れ、橋や町の建物がそれを横切り、遠景の地平線が画面を穏やかに締めています。その上を覆う空は重たい群青で塗られ、稲妻の白い線がそこに鋭く走っています。

手前の男女は画面の左右にバランスよく配置され、中央にはあえて大きな空白がつくられています。この空白のおかげで、観る側は「二人は同じ場にいるのに、互いの物語はどこかすれ違っているのではないか」と想像してしまいます。

色彩も独特です。深い緑と青を基調に、男の赤い服、裸婦の白い布、背景の建物に差し込む光がアクセントとして散りばめられています。落ち着いたトーンの中に、ところどころ強い色を置くことで、嵐の前の静けさと、どこか不穏な空気が同時に漂う画面になっています。

光の扱いにもジョルジョーネらしさが現れています。人物の肌は柔らかい陰影で包まれ、明暗の境目が溶けるようにぼかされています。この繊細なモデリングは、のちにティツィアーノやレオナルドにも通じる「空気感」のある描写として高く評価されています。

ぬい
ぬい

真ん中がスカッと空いてるから、逆に“ここで何が起きるんだろう”ってソワソワするんだね。

そうそう。あの空白が、絵の中にストーリーの“余白”をつくってる感じがするよね。

レゴッホ
レゴッホ
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男と裸婦は誰なのか? 主題をめぐるさまざまな説

《嵐》をめぐって最も議論されてきたのが、「あの男と裸婦はいったい誰なのか」という問題です。実は、16世紀の時点ですでに「意味のよく分からない絵」として話題になっており、現在まで決定的な説はありません。

よく知られている説のひとつが、アダムとイブに新生児カインを加えた「楽園追放後の家族」を描いたものだという解釈です。裸婦をイブ、赤ん坊をカイン、男をアダムに見立て、折れた柱を「罪によって壊れた世界」の象徴、遠くの町を失われた楽園に重ねて読む説です。

別の研究では、プラトン『饗宴』に登場する「富」と「貧困」の寓意として解釈されることもあります。裕福そうな身なりの青年を「富」、裸で子供を抱く女性を「貧困」とし、その結びつきから愛(エロス)が生まれるという哲学的物語になぞらえる読み方です。

近年では、ヴェネツィアの名家ヴェンドラミン家の一員、シルヴィオ誕生の寓意と結びつける説も提案されています。背景の森で分娩する女性を「母ラヴィニア」とみなし、手前の青年をその息子シルヴィオと解釈する読みです。

どの説も、絵の細部——折れた柱や植物の種類、町の地形、衣服のデザイン——を丹念に読み解いた上で組み立てられていますが、決定打はありません。おそらくジョルジョーネ自身が、ひとつの物語に縛られない象徴的なイメージを意図し、あえて解釈の余地を広く残したのだと考えられます。

ぬい
ぬい

答えが決まってないからこそ、いろんな説を読み比べるのが楽しいやつだね。

うん。“このパーツはこう読めるかも”って自分でも推理したくなるのが、この絵の沼ポイントだと思う。

レゴッホ
レゴッホ
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ヴェネツィアと「嵐」の関係:政治的な読み解きも

《嵐》は、単なる神話や寓意だけでなく、当時のヴェネツィア共和国の状況と結びつけて解釈されることもあります。遠景に描かれた町は、具体的な都市名は特定されていませんが、城壁や塔のシルエットがヴェネツィア圏の都市を思わせるとして、政治的メッセージを読み取る研究者もいます。

たとえば、教皇庁との対立が激化しつつあったヴェネツィアに対して、「嵐のような危機が迫っている」という警告として理解する説があります。雷光が町に向かって落ちていく構図を、神の怒りや戦争の前兆として解釈するのです。

この読み方が正しいと断言はできませんが、ジョルジョーネのパトロンが実際に政治の中枢に関わる一族だったことを考えると、個人的な寓意とともに、都市国家ヴェネツィアの行く末への不安も、この「嵐」のイメージに重ねられていた可能性は十分にあります。

ぬい
ぬい

ただの“風景+人物”かと思いきや、時代の空気まで詰め込まれてるかもしれないんだね。

そうそう。小さい絵なのに、家族ドラマから国家の行く末まで乗っかってるかもしれないって考えると、急にスケール感バグるよね。

レゴッホ
レゴッホ
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ジョルジョーネの短い生涯と《嵐》の位置づけ

ジョルジョーネは、1470年代後半にヴェネツィア近郊で生まれ、おそらく1510年ごろに30代半ばで亡くなったと考えられています。残された作品はごくわずかですが、そのどれもが後世の画家たちに強烈な印象を与えました。

《嵐》は、その中でも特に「新しい絵画の可能性」を示した作品として位置づけられています。人物を大きく描きながらも、物語をはっきりさせず、観る側の感情や記憶を呼び起こすような詩的な風景を前面に押し出した点が決定的でした。この視点は、のちにティツィアーノやジョヴァンニ・ベッリーニ、さらには18〜19世紀の風景画家たちに受け継がれていきます。

また、《嵐》に見られる柔らかな陰影や、輪郭を曖昧に溶かしていく描き方は、レオナルド・ダ・ヴィンチスフマートとも響き合いながら、ヴェネツィア独自の色彩豊かな絵画様式の土台になりました。

ぬい
ぬい

作品数は少ないのに、影響力はめちゃくちゃデカいタイプの画家なんだね。

うん、“早逝したカリスマ”って感じ。だからこそ《嵐》みたいな謎めいた作品が、余計に伝説化してるところもあると思う。

レゴッホ
レゴッホ
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おすすめ書籍

このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。

まとめ:謎は解けなくても、《嵐》は楽しめる

ジョルジョーネ《嵐(ラ・テンペスタ)》は、
・風景そのものが主役になった、ルネサンス風景画の転機となる作品であり、
・男と裸婦の正体や嵐の意味について、宗教的・哲学的・政治的など多様な解釈が提示されてきたものの、いまだ決定的な答えのない謎多き名画であり、
・ジョルジョーネの短い生涯と、ヴェネツィア絵画の発展を考えるうえで欠かせない一枚だと言えます。

意味が分からなくても、川の流れや空の色、遠くの町の静けさをじっと眺めていると、自分の中にいろいろな物語が浮かんできます。その自由さこそが、《嵐》が500年以上にわたって人々を惹きつけてきた最大の理由かもしれません。

ぬい
ぬい

結局、何の場面かは分からないままだけど、それでも“いい絵だ…”って納得しちゃうね。

うん。答えが出ないからこそ、見るたびに新しい物語をつくれるのが《嵐》の強さなんだと思う。またいつか現地で一緒に見に行こうね。

レゴッホ
レゴッホ
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