ブリューゲルの《バベルの塔》を解説！どの美術館で見れる？

巨大な塔が、海辺の町を見下ろすようにそびえ立っています。
無数の足場、運ばれる石材、働き続ける人々。塔はほとんど完成しているようにも見えますが、よく見るとあちこちに崩れた壁やむき出しの岩があり、どこか不安定です。

これは16世紀ネーデルラントを代表する画家、ピーテル・ブリューゲル（父）の名画《バベルの塔》。
旧約聖書「創世記」の有名なエピソードをもとに、人間の傲慢さと文明の危うさを描き出した作品です。

この記事では、聖書物語の背景から、塔の構造や都市風景、そして当時のヨーロッパ社会への風刺まで、ブリューゲルの《バベルの塔》をじっくり解説していきます。

《バベルの塔》

まずは簡単に作品の情報を紹介します。

＜作者についての詳細はこちら＞

ピーテル・ブリューゲルを解説！農民画と風刺で読み解く生涯と代表作

《バベルの塔》とは？聖書の物語をブリューゲル流に翻訳

聖書によると、洪水のあと、同じ言葉を話していた人々は「天まで届く塔を建てて名を上げよう」と考えます。
それがバベルの塔です。神は人間の高慢を罰し、彼らの言葉を混乱させて、互いに理解できないようにしました。人々は散り散りになり、塔の建設も途中で終わってしまいます。

ブリューゲルは、この物語を広大なパノラマの中に描き込みました。
画面中央には、山と一体化した巨大な塔。左側には密集した町並み、右下には船が行き交う港が広がり、バベルが国際的な交易都市であることを示しています。

塔の手前には、豪華な衣装をまとった人物と、ひざまずく労働者たちの姿が見えます。冠をかぶった人物は、塔の建設を指示した王（伝統的にはニムロド王とされる）で、その前で棟梁が図面を差し出しています。
しかし、王の背後で見上げる塔は、よく見るとすでに傾きかけているようにも見えます。物語の結末――計画の挫折――が、まだ物語の途中にあるこの瞬間から暗示されているのです。

崩れかけた超高層ビル：塔の構造と不安定さ

《バベルの塔》で一番目を引くのは、もちろん巨大な塔そのものです。
螺旋状に階層が重なり、ローマのコロッセオをそのまま山に巻き付けたような姿をしています。ブリューゲルはイタリア旅行の際、古代ローマの遺跡を実際に見ており、その印象がバベルの塔の形に反映されていると考えられています。

外壁には同じようなアーチ窓が規則的に並び、一見すると頑丈な建造物に見えますが、よく観察すると崩れやすそうなポイントがたくさんあります。
赤茶色の上層部と、クリーム色の下層部では材質や仕上げが微妙に違い、途中で設計が変わったような不自然さがあります。山肌の岩をそのまま削っただけの部分も多く、石積みが地盤にきちんと噛み合っていない場所も見えます。

ところどころには、崩れ落ちたアーチや、工事途中の空洞、足場が宙に浮いているような危険な位置取りも描かれています。
つまりこの塔は、見かけほど堅牢ではありません。むしろ、急ぎすぎて無理のある工事をしている巨大建築、という印象を与えます。

ブリューゲルは、塔の壮大さを強調しながら、その内部に「いつ崩れてもおかしくない構造的欠陥」を意図的に埋め込んでいるのです。そこに、途方もないプロジェクトに突き進む人間の無謀さが象徴されています。

働き続ける人々と沈黙する神：人間中心の世界の行き着く先

塔の表面をよく見ると、小さな点のように人々が描かれています。
石を運ぶ者、足場を組む者、指示を出す者。塔の下の港では船から荷物が上げ下ろしされ、都市全体が巨大な建設事業に動員されています。

注目すべきなのは、この絵に神の姿が一切描かれていないことです。
聖書本来の物語なら、人々に罰を与える神の登場がクライマックスですが、ブリューゲルはその瞬間を選ばず、あくまで「人間だけで盛り上がっている工事現場」の様子に焦点を当てています。

雲は穏やかに流れ、塔を壊す雷や嵐も見えません。
それでも画面全体には、不吉な静けさが漂っています。人々は上を見上げながら、あるいは自分の作業に没頭しながら、誰ひとりとして「この計画は本当に正しいのか？」と疑っていないように見えます。

神の姿がないことで、かえって「ここには、神を忘れてしまった人間社会だけがある」という感覚が強まります。
そしてその社会こそが、言葉の混乱と共同体の崩壊に向かって、知らず知らずのうちに歩んでいる――ブリューゲルは、そんな危うさを静かに描き出しているのではないでしょうか。

16世紀ネーデルラントの現実と《バベルの塔》

ブリューゲルが生きた16世紀半ばのネーデルラント（現在のベルギーやオランダ周辺）は、商業と造船で繁栄した地域でした。
港町アントウェルペンには各国から商人が集まり、多言語が飛び交う国際都市として発展していました。

《バベルの塔》の右下に描かれた港と街並みは、聖書の古代都市というより、そんな同時代のネーデルラントの景色に近いものです。
高い塔のような建物、密集した家々、運河と船。ブリューゲルは、聖書の物語を16世紀の現実に置き換えることで、「今の私たちの世界もバベルと同じではないか」と問いかけているように見えます。

当時のネーデルラントは、スペイン王家による支配や宗教改革の緊張など、政治的にも不安定でした。巨大な富と権力が集まる一方で、社会の分断や暴力もじわじわと高まっていた時期です。
《バベルの塔》の、壮大さと不安が入り混じった雰囲気は、そうした時代の空気とも響き合っています。

別の作品《ネーデルランドの諺》や《農民の婚宴》では、ブリューゲルは庶民の暮らしやことわざを通して人間社会の滑稽さを描きました。
《バベルの塔》では視点を大きく引き上げ、都市全体・文明全体を見下ろすようなスケールで、同じテーマ――人間の愚かしさと、それでもどこか愛すべきエネルギー――を描いていると言えるかもしれません。

おすすめ書籍

このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。

まとめ：終わらない建設現場としての“世界”

ブリューゲルの《バベルの塔》は、聖書の物語をベースにしながら、16世紀ネーデルラントの現実と、人間社会そのものの姿を重ね合わせた作品です。

見上げるほど巨大な塔、港に並ぶ船、絶え間なく動き続ける人々。
一見すると文明の勝利のようですが、崩れかけた壁や不安定な足場、そして神の不在が、静かに破綻の予感を伝えています。

この絵は、「高すぎる塔」を笑うだけの風刺画ではありません。
無謀さや傲慢さを抱えながらも、それでも何かを築こうと働き続ける人間の姿が、どこか切なく、力強く描かれています。だからこそ、完成しないはずの塔を、私たちは今も見上げ続けてしまうのかもしれません。