ジュゼッペ・アルチンボルドの《大気(空気)》は、一度見たら忘れられないインパクトを持つ作品です。
画面いっぱいに描かれているのは、何十羽もの鳥たちです。フクロウ、フラミンゴ、キジ、インコ、ハト、ガチョウ、ワシのような猛禽類まで、大小さまざまな鳥がぎゅっと群れをなしているのに、全体としては男性の横顔に見えるという不思議な構図になっています。
首元には大きく尾羽を広げたクジャクがいて、その華やかな羽根模様がまるで衣装の襟飾りのように見えます。人の姿と鳥たちの姿がきれいに二重写しになり、「空を飛ぶ生き物=空気の世界」というイメージを、視覚的に一気に伝えてくれる作品です。
この《大気》は、火・水・大地とともに構成された《四元素》シリーズの一枚で、四季を擬人化した連作《四季》ともペアになるように設計されています。奇妙さと知性が同居した、アルチンボルドらしさ全開の一作だと言えるでしょう。
ぱっと見は鳥図鑑のページなのに、ちょっと離れて見るとちゃんと横顔になってくるのが気持ちいい。
しかもクジャクのドレス感がすごいよね。鳥だけでここまで“貴族の肖像”っぽくできるの、ほんとセンスの暴力。
《大気》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品名:大気(空気)
作者:ジュゼッペ・アルチンボルド
制作年:16世紀後半、一般には《四元素》シリーズと同じく1560年代後半の作と考えられています
技法:板絵に油彩とみられます
連作:火・水・大地・大気を擬人化した《四元素》の一枚で、《四季》では「春」と対応するペアに位置づけられます
現在:ヨーロッパのコレクションに所蔵され、ときどき展覧会に出品されています
“春=大気”のペアって、たしかに新緑と鳥のさえずりってイメージ的にすごくしっくりくる。
連作としてちゃんと意味がつながるように設計してるの、本当にシリーズ構成オタクだよねアルチンボルド。
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アルチンボルドと《四元素》のなかの《大気》
アルチンボルドはミラノでキャリアをスタートさせ、その後ハプスブルク家の宮廷画家としてウィーンやプラハで活動しました。宗教画や装飾画を手がける一方で、祝祭のパレード、仮面舞踏会の衣装、舞台装置のデザインなども任されていて、現代でいえば“宮廷付きアートディレクター”のような立場にいました。
その中で生み出されたのが、果物や野菜、動物や道具を組み合わせて人の顔に見立てる「寄せ絵」スタイルです。最初の大きな成功作が《四季》の連作で、これにあわせて自然界の基本要素を表す《四元素》が構想されました。
四元素とは、火・水・大地・空気という、古代ギリシア以来の自然哲学で用いられてきた概念です。アルチンボルドはそれぞれを、皇帝の支配する世界の一部として描くことで、「皇帝の権威は自然の根本原理にまで及ぶ」というメッセージを込めました。
《大気》は、その中で「空気」を司る領域を鳥たちに託した作品です。鳥は空を自由に飛び回る生き物であり、同時に当時の王侯貴族にとっては狩猟や鷹狩りの重要なパートナーでもありました。アルチンボルドは、それらを一つの顔にまとめることで、自然界と宮廷文化をつなぐイメージを作り上げています。
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鳥って、自然の象徴でもありつつ、“貴族の遊び”の象徴でもあったんだね。
だからこそ皇帝の肖像を鳥まみれで作るってアイデアが、ちゃんと政治的にも効いてくるんだと思う。
鳥たちで構成された横顔|《大気》の画面を読み解く
《大気》に描かれているのは、右向きの横顔です。顎から頭頂部、首から胸元まで、ほぼすべてが鳥で埋め尽くされています。
額から後頭部にかけては、小さな鳥たちがびっしりと並んでいて、髪の毛のようなボリュームを作り出しています。フクロウの丸い目、カラスの鋭いくちばし、水鳥の長い首など、さまざまな形状が自然に組み合わさり、横顔の曲線をなめらかに描いているのがわかります。
鼻筋のあたりには横向きの鳥が配置され、くちばしのラインがそのまま鼻のアウトラインになっています。口元では、別の鳥のくちばしが唇の形を作り、顎には小さな鳥がいくつも重なって、無精ひげのようなニュアンスを生んでいます。
目の位置には、はっきりとこちらを見つめるフクロウの顔が置かれています。丸い目とくちばしの位置が、人間の眼窩と瞳にぴったり合うように調整されていて、見る側に「本当に顔にしか見えない」という錯覚を起こさせます。
そして何より印象的なのが、胸元に広がるクジャクです。冠を持ったクジャクが真正面を向き、その尾羽を大きく扇のように広げています。この尾羽の模様が、人物の服のフリル飾りやマントのようにも見えて、顔のシルエット全体を華やかに縁取っています。
背景はごくシンプルな無地に近い色で、鳥たちの多彩な色と形がくっきりと浮かび上がるように計算されています。全体としては、にぎやかでありながらもバランスの取れた構図になっていて、アルチンボルドの設計力の高さがうかがえます。
クジャクの尾羽が“襟巻き兼ドレス”みたいになってるの、めちゃくちゃゴージャスだよね。
あとフクロウの目がちょうど人間の目の位置にくるの、本当にピタッとはまりすぎて笑う。
《大気》に込められた象徴とハプスブルク宮廷のイメージ
鳥は、古くから自由・霊性・魂の象徴とされてきました。空高く舞い上がる能力は、地上の制約を超える存在としてのイメージにつながります。
アルチンボルドが《大気》の人物像を鳥だけで構成したのは、空気という目に見えない元素を「空の住人たち」で表現するためでした。同時に、フクロウの知恵深さ、ワシの力強さ、クジャクの誇り高い美しさなど、各種の象徴も重ねられていると考えられます。
クジャクは特に、王権や威厳の象徴としてしばしば用いられてきたモチーフです。その派手な尾羽が胸元を飾っていることから、《大気》の人物は単なる自然の精霊ではなく、ある種の“空の王”のような存在として描かれていると読むこともできます。
さらに、当時のハプスブルク宮廷では、珍しい鳥や動物を集めたコレクションが整えられていました。アルチンボルドは、そうした実物の鳥を観察しながら、それぞれの種類をしっかり描き分けています。細部を見ると、羽根の模様やくちばしの形などがかなり具体的で、単なるデフォルメではないことがわかります。
このリアルさは、宮廷が自然研究や博物学に強い関心を持っていたことの反映でもあります。《大気》は、鳥のカタログであると同時に、「これだけ多様な生き物を支配する帝国」という自画像にもなっているわけです。
鳥好きの皇帝からしたら、“これ全部うちのコレクションです”って自慢したくなる一枚だよね。
そうそう。趣味と権力アピールを兼ねたビジュアルって意味では、かなりよくできたプロパガンダだと思う。
《四季》とのペアリングで見えてくる、《大気》のもう一つの顔
《大気》は、《四季》の「春」と対になるように考えられています。

「春」は、色とりどりの花や若葉で構成された横顔でしたが、《大気》ではその上を飛び交う鳥たちが主役になっています。花が開き、草木が芽吹くとき、空では渡り鳥が戻り、さえずりが響きはじめる――そんな季節のイメージが、二つの連作の対応関係に重ねられています。
四季と四元素のペアリングを通して、自然の時間的な循環(春夏秋冬)と、自然を形作る基本要素(火水土気)が、ハプスブルク皇帝のもとで調和しているという、壮大な世界観が描かれていました。《大気》はその中で、生命の息吹や自由、上昇といったポジティブなイメージを担う役割を与えられていると言えます。
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春と大気がセットだと、“空気があったかくなって、鳥たちが帰ってくる季節”ってイメージになるね。
うん。連作をちゃんと組み合わせて読むと、アルチンボルドの世界観が一気に立体的になる感じがする。
おすすめ書籍
このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。
まとめ|《大気》は、鳥たちの肖像であり帝国の肖像でもある
ジュゼッペ・アルチンボルドの《大気(空気)》は、無数の鳥だけで人間の横顔を作り上げるという大胆な発想と、鳥の種類や特徴を細部まで描き分ける観察力、《四季》《四元素》という連作の中で「春」とペアを組み、皇帝の支配する自然の領域を示すという象徴性が一つになった非常に密度の高い作品です。
一見するとユーモラスで奇妙な寄せ絵ですが、その背後には、16世紀ヨーロッパの自然観や宮廷文化、政治的なメッセージがしっかりと織り込まれています。
もし実物を鑑賞する機会があれば、まずは一歩引いて横顔として全体を眺めてから、各パーツがどの鳥でできているのかを一つずつ辿ってみてください。アルチンボルドがどれほど楽しみながら、そしてどれほど綿密に構成を考えていたのかが、だんだん見えてくるはずです。
“鳥でできた顔”ってだけでもう十分面白いのに、背景の意味まで知ると二度おいしい作品だね。
だね。アルチンボルドって、見た瞬間に笑わせて、そのあとじっくり考えさせるタイプの天才だなって改めて思う。


