ピーテル・ブリューゲル(父)の《干し草の収穫》は、黄金色の畑と緑の丘が広がるのどかな風景の中で、農民たちが忙しく働く様子を描いた作品です。
大きく切り立った岩山と、遠くまで続く川の景色は雄大ですが、画面の主役はあくまで手前で汗を流す人々や、赤土の道を行き交う人びとです。
この絵は、いわゆる「季節の連作(あるいは月暦画)」の一枚で、初夏から盛夏にかけての時期を象徴する場面と考えられています。
ブリューゲルの代表作《雪中の狩人》《暗い日》と同じシリーズに属し、一年のサイクルの中で働き続ける人間の営みを、ユーモアと観察眼をもって描き出しています。
この記事では、作品の基本情報から、季節の連作の中での位置づけ、画面の細部の読み解き、ブリューゲルらしい視点まで、順番に見ていきます。
この絵、遠くまでずーっと奥行きがあって気持ちいいね
だよな。のどかなんだけど、人間もめちゃくちゃ働いててリアルだわ
《干し草の収穫》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品名:干し草の収穫(Hay Harvest などと呼ばれる)
作者:ピーテル・ブリューゲル(父)
制作年:1565年頃
技法:板上油彩
サイズ:中型のパネル絵画(横長)
所蔵:ロブコヴィツ宮殿(プラハ城内、チェコ)とされています
備考:季節の連作(12か月をいくつかのパネルにまとめたシリーズ)の一枚
プラハのお城にあるって聞くだけで、ちょっと行ってみたくなるな
ブリューゲル巡りでヨーロッパ旅行とか、いつかやりたいな
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《干し草の収穫》とは?ブリューゲルが描いた初夏の農村風景
《干し草の収穫》は、初夏に行われる牧草の刈り取りと運搬の様子を描いた作品です。
画面の左には大きな岩山がそびえ、中央には村が点在し、その手前で農民たちが大鎌を振るって草を刈り、刈り取った干し草を山のように積んでいます。
手前の赤い道をよく見ると、かごを頭に載せた女性たちがぞろぞろと歩き、ロバには果物の入ったかごが山積みにされています。
道端では、ひと休みして笛のような楽器を吹く男の姿も見え、単なる労働風景ではなく、季節の恵みを享受する人間の喜びがにじんでいます。
遠景に広がる川や町並みは、実在の場所というより、ブリューゲルが集めた風景の要素を組み合わせて構成した「理想的な田園」のようなものです。
しかし、一人ひとりの所作は驚くほど具体的で、鎌の持ち方から、かごの重さに耐える身体の傾きまで、作者が農村の現実をよく観察していたことが伝わってきます。
ただの“いい景色”じゃなくて、ちゃんと働いてる音が聞こえてきそうだね
わかる。シャキシャキ草を刈る音とか、かごをドサッと置く音まで想像できる
季節の連作の中で《干し草の収穫》が担う役割
1565年に描かれた季節の連作は、裕福な銀行家ニコラース・ヨンヘリンクの邸宅を飾るために制作されたと考えられています。

現存しているのは《暗い日》《雪中の狩人》《干し草の収穫》《穀物の収穫》《帰り道(あるいは《羊飼いの帰宅》と呼ばれる作品)》などで、それぞれが一年の異なる時期を象徴しています。
《干し草の収穫》が表しているのは、春から夏へと季節が移り変わり、草が伸びきって刈り入れのタイミングを迎えた頃です。

冬の厳しさを描いた《雪中の狩人》や、嵐の迫る《暗い日》と比べると、この絵には危機感よりも豊かさと充足感が強く表れています。
連作全体で見ると、ブリューゲルは「一年中働き続ける農民の生活」を、季節ごとの光や空気と結びつけて描き出しています。
その中で《干し草の収穫》は、一年のサイクルの中間地点に位置し、自然の恵みがピークへ向かう途中段階を示す作品と言えるでしょう。
シリーズで並べて考えると、この絵が“がんばりどき”って感じだね
そうそう。冬を乗り越えて、これから収穫ラッシュに突入する手前のテンション高めな時期だ
画面を細かく読み解く:前景・中景・遠景のストーリー
ブリューゲルは、横長の画面を前景・中景・遠景に分け、それぞれに違うリズムの物語を配置しています。
手前では、赤土の小道を行く人びとが主役です。
かごを頭に載せた女性たちは、ベリーや果物を運んでいるように見えます。ロバにまたがる子どもがかごに手を伸ばしていたり、地面には赤い果物がこぼれていたりと、日常の小さなドラマがさりげなく描き込まれています。
中景では、干し草の束を荷車に積み込む人々が忙しく動き回っています。
まだ刈られていない部分と、すでに束ねられた干し草の山が混在しており、「仕事の途中」であることが一目でわかります。
この“途中感”が、静止画でありながら時間の流れを感じさせる大きなポイントです。
遠景では、川や村落、やや霞んだ山々が広がり、空は厚い雲と明るい部分が混じり合っています。
完全な快晴ではなく、むしろ少し不安定な天候のようにも見えますが、農民たちは気にする様子もなく作業を続けています。
自然の移ろいに合わせて働く人間のたくましさを、静かに語っているようです。
前景を見るか、遠景を見るかで、ぜんぜん違う物語に見えてくるね
ブリューゲルの絵って、視点を動かすたびに“別のマンガのコマ”が展開していく感じがして面白い
農民たちの姿に込められたブリューゲルのまなざし
ブリューゲルはしばしば「農民画家」と呼ばれますが、ただ農民に同情的だったとも、単に笑いのネタにしていたとも言い切れません。
《干し草の収穫》でも、彼は理想化しすぎない距離感で農民を描いています。
たとえば、道端で眠りこけてしまった男や、仕事よりおしゃべりを優先しているように見える人もいます。
一方で、大きな干し草の山を崩さないようにバランスをとりながら運ぶ者、鎌を肩に担いで次の仕事へ向かう者など、真剣に働く姿もきちんと描かれています。
そこには、「人間はだれも完璧ではないが、みなそれぞれの役割を果たしながら生きている」という、やや冷静でユーモラスな視線が感じられます。
ブリューゲルは説教臭く moral を押しつけるのではなく、少し離れた場所から「人間ってこういうものだよね」と眺めているように見えます。
サボってる人もちゃんと描くあたり、容赦ないけどちょっと優しいね
そうそう。“こうあるべき”じゃなくて、“こうなっちゃうよね”っていう現実をそのまま見せてくる感じ
ブリューゲルの風景表現と《干し草の収穫》の位置づけ
16世紀のネーデルラントでは、風景画はまだ独立したジャンルとして発展し始めた段階でした。
ブリューゲルはその黎明期を代表する画家で、山岳風景や村の情景を数多く描き、後のオランダ風景画に大きな影響を与えました。
《干し草の収穫》では、イタリア旅行で学んだ大気遠近法や構図の技術が活かされており、画面奥へ向かって空気が薄くなっていくような深い奥行きが表現されています。
同時に、手前の人物たちはネーデルラント独自の風俗や衣装をまとっていて、イタリア風の理想化された風景とは一線を画しています。
この「国際的な風景の構成」と「ローカルな農村の描写」が混ざり合うところに、ブリューゲルならではの魅力があります。
《干し草の収穫》は、そうした彼のスタイルがバランスよく実を結んだ例として、季節の連作の中でも特に評価の高い一枚とされています。
遠くの山はちょっとアルプスっぽいのに、手前は完全にネーデルラントの村っていうミックス感がいいね
グローバルな構図とローカルな暮らしが一枚の中で共存してるの、今で言う“ローカル × ワールド”って感じでめちゃ推せる
おすすめ書籍
このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。
まとめ:一年のサイクルの中で輝く「働きどき」の一枚
《干し草の収穫》は、ブリューゲルの季節の連作の中で、自然の恵みが本格的に形になり始める「働きどき」を象徴する作品です。
黄金色の畑と緑豊かな丘、赤土の道を行き交う人びと、遠くまで続く川の流れ。
それらが一体となって、初夏から盛夏にかけての特有の空気感を、見る人の体感として伝えてくれます。
農民たちの姿は、英雄でも聖人でもありませんが、日々の労働を通じて世界を回している主役として描かれています。
ブリューゲルは彼らの生活を冷静に観察しつつも、どこか愛着を込めて描き、見る私たちに「人間の営みそのものの尊さ」を意識させます。
一年の物語の中でこの絵を眺めると、「豊かさは、目立たない日々の積み重ねの上に成り立っている」というメッセージが、より強く響いてくるのではないでしょうか。
こうやって見てると、自分の毎日の仕事も、ちょっとだけ誇らしく思えてくるね
だな。地味でもコツコツ続けるのが、一年の“実り”につながるってことをブリューゲルが教えてくれてる気がする


