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エル・グレコの大作《聖マウリティウスの殉教》をやさしく解説!

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マニエリズム
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エル・グレコの《聖マウリティウスの殉教》は、スペイン王フェリペ2世の新しい修道院兼宮殿エスコリアルのために描かれた、大型の宗教画です。

画面にはローマ兵の装いをした男たちが前景に集まり、少し離れた奥の方で大量処刑の場面が展開しています。
さらに上空では、雲のあいだから天使が舞い降り、殉教する兵士たちを天国へ迎え入れようとしています。

題材となっているのは、3世紀末に皇帝マクシミアヌスに殺されたと伝えられる「テバイ軍団」の伝説です。
軍団長マウリティウスは、部下とともにキリスト教の信仰を捨てることを拒み、ついには全員が殉教したとされています。

フェリペ2世は、この英雄的な殉教者を守護聖人とする騎士修道会を自ら創設しており、エスコリアルの祭壇画にはうってつけの題材でした。
しかし完成した作品を見た王は満足せず、この絵はメインの祭壇から外され、別の部屋に掛けられることになります。

ぬい
ぬい

せっかくの大チャンスだったのに、王様に刺さらなかったってことか…。

そうなんだよ。内容は超ドラマチックなのに、“ドラマの見せ方”が王の好みとズレちゃったっていうのがこの絵のポイントなんだ。

レゴッホ
レゴッホ
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《聖マウリティウスの殉教》

まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品詳細

タイトル:聖マウリティウスの殉教

作者:エル・グレコ

制作年:1580〜1582年頃

技法:油彩/カンヴァス

サイズ:約448 × 301 cm の大作

様式:マニエリスム

所蔵:サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル修道院

依頼主:スペイン王フェリペ2世。エスコリアルの聖マウリティウス礼拝堂の祭壇画として注文されました

ぬい
ぬい

サイズ見るだけで、本気度の高さが伝わってくるね。

だよね。宮殿の祭壇用だから、エル・グレコも“これで王室画家コースに乗るぞ”って気合い入れてたはず。

レゴッホ
レゴッホ

<作者についての詳細はこちら>

エル・グレコを解説!ギリシャ生まれの「異端の巨匠」とは?

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テバイ軍団と聖マウリティウスの伝説

聖マウリティウスとテバイ軍団の物語は、5世紀ごろの文書にさかのぼる古い伝説です。

伝承によると、エジプトの都市テーベに駐屯していたローマ軍の一隊が、皇帝マクシミアヌスの命令でアルプス地方へ派遣されました。
この部隊はキリスト教徒で構成されており、軍団長マウリティウスのもと、信仰に忠実な兵士たちだったとされています。

現地で皇帝が、キリスト教徒への迫害に加担するよう命じたとき、マウリティウスたちはこれを拒否します。
反抗した軍団は見せしめとして何度も「間引き処刑」され、ついには全隊が殉教しました。
この話は、軍人でありながら信仰のために死を受け入れた模範的な殉教譚として、中世以降のヨーロッパで広く語り継がれます。

スペイン王フェリペ2世は、聖マウリティウスにちなんだ騎士修道会の総長を兼ねており、彼を自国の守護聖人の一人とみなしていました。
エスコリアルの礼拝堂に、この殉教を描いた祭壇画を置くことは、王の敬虔さと軍事的使命を同時にアピールする意味を持っていたのです。

ぬい
ぬい

軍隊ものなのに、敵と戦って英雄になるんじゃなくて、“命令に逆らって死ぬ”ほうを選ぶっていうのが印象的だね。

うん。フェリペ2世にとっては、“信仰のためなら命も惜しまない理想の兵士”のシンボルだったんだと思う。

レゴッホ
レゴッホ
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王宮の祭壇画になれなかった理由

この注文は、エル・グレコにとって王室画家へのステップアップをかけた大勝負でした。
それまでトレドで着実に仕事をこなしながらも、彼はエスコリアルのような王家直轄のプロジェクトに強い憧れを持っていました。

しかし1583年、ポルトガル遠征から戻ったフェリペ2世が完成作を確認すると、反応は冷淡なものだったと伝えられています。
王はこの作品を、予定されていた礼拝堂の主祭壇ではなく、修道院の別室(現在も展示される章堂)に移すよう命じ、その後エル・グレコに大きな宮廷仕事を与えることはありませんでした。

なぜ王は満足しなかったのでしょうか。
当時の記録や後世の研究では、いくつかの理由が挙げられています。

ひとつは、「殉教そのもの」が画面の奥に小さく描かれ、前景で長々と軍議の場面が展開していることです。
カトリック改革期の祭壇画では、信者がひと目で主題を理解できるよう、決定的な瞬間を中央に大きく示すことが望まれていました。
ところが、エル・グレコはドラマのクライマックスを背景に押しやり、代わりに「決断の前段階」の会話を前面に押し出しています。

また、人物のプロポーションや色彩がマニエリスム的に誇張されすぎており、王の好みからすると「落ち着きに欠ける」「分かりにくい」と感じられた可能性も指摘されています。

結果的に、《聖マウリティウスの殉教》はエル・グレコにとって「宮廷画家への扉を開けかけて閉じられた作品」となり、彼はその後、トレドの教会と市民を相手に自分のスタイルを深めていく道を選ぶことになります。

ぬい
ぬい

王様視点だと“主役の殉教が遠いし分かりにくい!”って不満だったわけか

そうそう。でもグレコからすると、“決断する人間ドラマ”を描きたかったんだろうね。そこでズレちゃった感じ。

レゴッホ
レゴッホ
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構図と人物:殉教の「前」と「後」が一枚に重なる

画面をよく見ると、《聖マウリティウスの殉教》には時間の流れが折りたたまれています。

中央右寄りには、青い胸甲と赤い短衣を着た人物が立っています。
彼が軍団長マウリティウスと考えられており、その周りには同僚の士官たちが議論するように取り囲んでいます。

彼らは、皇帝の命令に従って異教の儀式を行うか、それとも信仰を守って殉教を選ぶかという、運命の選択の瞬間に立っています。
表情やジェスチャーからは、不安、沈黙、説得、迷いなど、さまざまな心理が読み取れます。

赤い軍旗を掲げた兵士、鋭く光る槍、鎧兜の輝きなど、前景の人物たちはどこかスペインの近世軍隊を思わせる姿で描かれています。
研究者のなかには、サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトやパルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼなど、16世紀スペイン軍の名将がモデルになっているとする説もあります。
確定情報とまでは言えませんが、フェリペ2世が重視した「カトリック軍隊の英雄像」を重ねた可能性は高いと考えられます。

一方、画面左側では、すでに死体が折り重なり、兵士たちが処刑されている場面が展開しています。
つまり前景は「まだ生きているときの決断」、左奥は「殉教が現実になったあと」の光景であり、時間がひとつの画面で二重露光されているような構成になっています。

さらに上空には雲のあいだから天使たちが舞い降り、殉教者たちを天国へ導こうとしています。
金色の月桂冠や白い衣をまとった彼らは、戦場の激しさとは対照的に軽やかで、上方には音楽を奏でる天使たちの小さな合唱団も見えます。

こうして、地上の軍議、左側の斃れた兵士たち、上空の勝利の天使たちが、一本の垂直方向の流れに沿ってつながり、
「信仰のために死を選んだ者は、血に染まった戦場から天上の栄光へと引き上げられる」という物語をつくり出しています。

ぬい
ぬい

時間が“決断前→処刑→天国”って連続で並んでるのに、全部同時に見えてるのがグレコらしいね。

うん。フェリペ2世には分かりづらかったかもしれないけど、アートとしてはかなり攻めた構成だと思う。

レゴッホ
レゴッホ
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色彩とスタイル:マニエリスムの伸びやかさと“グレコ・ブルー”

《聖マウリティウスの殉教》を見てまず印象に残るのが、独特の色彩です。

空の青は深いインディゴから淡い青緑まで揺らぎ、雲の縁には灰紫や黄緑がにじんでいます。
この「冷たいのにどこか発光している青」は、のちにピカソや現代の画家たちが惹かれた“グレコ・ブルー”の典型といわれます。

兵士たちの衣装は、青、赤、黄色、緑が強いコントラストで並び、どれも現実のローマ軍の制服とはかけ離れた、舞台衣装のような鮮やかさです。
これは歴史考証よりも「精神的な緊張」を色で表現しようとした結果と考えられます。

人体のプロポーションも、ルネサンスの古典的な均整からわざと外れています。
腕や脚は細長く引き伸ばされ、ポーズもひねりや誇張が多く、まるで炎が立ちのぼるような動きが感じられます。
こうした「長く、ねじれた」人体表現は、エル・グレコがイタリアで触れたマニエリスムの特徴を、自分なりに極端まで押し進めたスタイルだとされています。

前景の岩や草花、倒れた兵士たちの描写は意外なほど具体的で、武具の質感や旗の布のしわにも細かい観察が見られます。
しかしそれらは、上空の雲と天使の渦に巻き込まれるように配置されており、最終的には全体がひとつの大きなうねりになって、画面上部に向かって引き上げられていきます。

この「現実のディテール」と「霊的な抽象性」の混合こそ、エル・グレコの魅力であり、《聖マウリティウスの殉教》はその実験場のような作品だと言えるでしょう。

ぬい
ぬい

青とか赤がビビッドなのに、どこか冷たい光を放ってるのがクセになる。

わかる。情報量すごいのに、最終的には“上に吸い込まれていく感じ”だけが強烈に残るのがグレコのマジックだね。

レゴッホ
レゴッホ
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おすすめ書籍

このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。


まとめ|失敗作ではなく、グレコらしさ全開の野心作

《聖マウリティウスの殉教》は、発注者であるフェリペ2世の期待には応えられなかった作品でした。
殉教シーンを奥に追いやり、前景で兵士たちの心理劇を描いた構成は、当時の祭壇画の定番から外れすぎていたのかもしれません。

しかし、エル・グレコの画業全体を見渡すと、この作品はむしろ彼の個性がはっきりと現れたターニングポイントに見えてきます。

ビザンティン由来の霊的な雰囲気。
イタリアで身につけたマニエリスムのダイナミックな構図と色彩。
そして、歴史的事件よりも「人が決断する瞬間」そのものに焦点を当てる姿勢。

それらが一気に爆発しているのが、《聖マウリティウスの殉教》です。
この大作が王室で冷遇されたからこそ、エル・グレコはトレドに腰を据え、より自由に自分の世界を追求する道へ進んでいきました。

エスコリアルの章堂でこの絵と向き合うと、王の好みからはみ出してしまった“野心作”ならではのエネルギーと、信仰と芸術表現のせめぎ合いが、今でも強く伝わってきます。

ぬい
ぬい

“王様に嫌われた絵”って聞くとマイナスイメージだけど、中身を知るとむしろグレコらしさ全開で好きになっちゃうね。

だよね。仕事としては失敗でも、アート史的にはめちゃ重要な一枚。そういう作品って、見れば見るほどクセになるんだよ。

レゴッホ
レゴッホ
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