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パルミジャニーノの代表作《長い首の聖母》を解説!特徴や構図に迫る

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マニエリズム
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最初にこの絵を前にすると、多くの人が思わず首をかしげます。
聖母マリアの首も、同じようにあり得ないほど長く伸びているからです。

パルミジャニーノの《長い首の聖母》は、ルネサンス後に生まれた「マニエリスム」という様式を代表する作品として知られています。
古典的な均整や自然さよりも、洗練された「わざとらしさ」や優雅な誇張を大切にした時代の感覚が、ここでは極端なかたちで現れています。

画面いっぱいに大きく座るマリア、その膝の上で横たわる幼子イエス、左右を取り囲む天使たち。
さらに右奥には、異様に小さな聖人の姿がのぞきます。
一見するとバランスが崩れているのに、全体としてはどこか音楽的なリズムと静かな気品が漂う、不思議な魅力を持つ絵画です。

ぬい
ぬい

最初見たとき『え、首長すぎない?』ってびっくりしたけど、見てるうちにクセになるやつだね

わかる。違和感から入って、だんだんこの世界のルールに引き込まれていく感じだよね

レゴッホ
レゴッホ
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《長い首の聖母》

まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品詳細

作者:パルミジャニーノ(本名フランチェスコ・マッツォーラ)

タイトル:長い首の聖母(Madonna dal collo lungo)

制作年:1534年ごろ〜1540年ごろ

技法:板に油彩

サイズ:約216×132cm

所蔵:ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

この作品は、パルマの教会の祭壇画として注文されたと考えられていますが、作者の早すぎる死により未完成のまま残されたとされています。
そのため、右側の建築部分などには「描きかけ」のような印象もあり、完成していたらどのような姿になっていたのか、今も研究者たちの想像をかき立てています。

ぬい
ぬい

未完成って聞くと、逆に想像が広がってちょっとロマンあるよね

だよね。これで未完成なら、完成形はどれだけ攻めた構図になってたのか気になるわ

レゴッホ
レゴッホ

<作者についての詳細はこちら>

パルミジャニーノを解説!マニエリスムを代表する画家の作品や人生

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マニエリスムの時代背景と制作のいきさつ

パルミジャニーノは、盛期ルネサンスの巨匠ラファエロを深く敬愛しつつ、その優雅さをさらに誇張しようとした世代の画家です。
ローマでラファエロの作品を研究したあと、サン・ピエトロ大聖堂などにも関わりながら活動しますが、やがて戦乱に巻き込まれ、パルマやボローニャへと拠点を移しました。

《長い首の聖母》は、パルマの貴族家系バイヤルディ家の一員によって、家族の礼拝堂のために依頼されたと考えられています。
依頼主は、当時流行していた洗練された様式を好み、最新の感覚を備えた聖母子像を求めていたのでしょう。

しかし制作は長引き、パルミジャニーノは途中から錬金術などに没頭してしまいます。
そのため注文主との関係が悪化したとも言われ、彼が亡くなった時点でも作品は完全には仕上がっていなかったと見なされています。

ぬい
ぬい

天才が寄り道しまくって締切を落とすの、なんかすごく人間っぽくて親近感ある

でも依頼主からしたらたまったもんじゃないよね。結果的には美術史級の名作になってるんだけどさ

レゴッホ
レゴッホ
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「長い首」と引き伸ばされた身体――歪みが生む非現実の美

この絵を語るうえで、やはり一番のポイントはマリアの身体のプロポーションです。
細長い首、なめらかにうねる腕、ありえないほど小さな頭に対して、布に包まれた胴体はゆったりと縦に伸びています。

膝の上で横たわる幼子イエスも、現実の赤ん坊に比べると手足が長く、身体はまるで大人の縮小版のように描かれています。
重力を無視したように不安定なポーズですが、柔らかい布や曲線的な身体のリズムによって、むしろ優雅な「ゆらぎ」が生まれています。

このような誇張は、解剖学的な正しさを捨てたわけではなく、「理想的な美」をさらに引き延ばした姿として理解できます。
ルネサンスの均整がきっちりとした四角形だとしたら、マニエリスムの美は、その枠を少しねじってみせるひし形のようなものです。
違和感と洗練が同時に訪れる、その境目を狙った表現だと言えるでしょう。

ぬい
ぬい

写真で見慣れてると、こういう体つきって最初バグに見えるんだよね

でも、線の流れだけで見るとめちゃくちゃ綺麗なんだよ。人体を楽譜みたいに扱ってる感じがする

レゴッホ
レゴッホ
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天使たちの密集と、小さすぎる聖人――謎めいた構図

画面左側には、マリアの周りを取り囲むように数人の天使が描かれています。
髪の色や表情はそれぞれ微妙に違いますが、顔立ちはどれも似通っていて、まるで一つの合唱隊が寄り添っているかのようです。
彼らの身体もまた細長く、肩や首のラインが撓むように曲がり、画面に波のようなリズムを生んでいます。

一方で、右奥にはほとんど場違いなほど小さな男性の姿が立っています。
一般には、この人物は巻物を持つ聖ヒエロニムスだと解釈されています。
聖書のラテン語訳を行った学者として知られる人物で、巻物はその象徴と考えられます。

ただし、前景の人物たちと比べたときのスケールの差は極端で、遠近法だけでは説明しきれません。
このアンバランスさが、画面全体に夢の中のような非現実感を与えています。
右側の建築要素や柱の配置もどこか不安定で、現実の空間というよりは、神秘的な舞台装置のように見えてきます。

ぬい
ぬい

聖ヒエロニムス、フィギュアを置き忘れたみたいなサイズ感だよね

そうそう。でもあえてスケールを崩すことで、時間とか空間の感覚そのものを揺さぶってる気がする

レゴッホ
レゴッホ
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未完成ゆえの空白と、見えない「続き」

《長い首の聖母》が未完成だと考えられている一つの根拠は、右下の広い空きスペースです。
現在は床面がぽっかりと残されており、そこに何が描かれる予定だったのか、さまざまな説が出されています。

伝統的な「聖母子と聖人たち」の祭壇画であれば、他の聖人が加わった可能性は十分に考えられます。
あるいは棺や象徴的なモチーフが入る構想だったのかもしれません。
いずれにせよ、この空白が作品に独特の緊張感を与えていることは確かです。

また、背景の建築空間も、遠くまで続くはずの回廊や柱列が途中で途切れ、描き込みの密度にもムラがあります。
これも未完成の痕跡と見ることができますが、同時に「描かれていない部分」が観る者の想像力を刺激する要素にもなっています。

ぬい
ぬい

空いてるところを見ると、脳内で勝手に続きを描いちゃうんだよね

その意味では、未完成っていうより“参加型の絵画”とも言えるかも。見る人の想像で補完されて完成する感じ

レゴッホ
レゴッホ
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「長い首の聖母」が後世に残したもの

パルミジャニーノは37歳という若さで亡くなり、長い画業を送ったわけではありません。
それでも《長い首の聖母》は、マニエリスムという様式を語るうえで欠かせない作品として、後世の画家たちに強い印象を残しました。

17世紀以降、この絵は「ルネサンスの均整が崩れた例」として批判されることもあれば、「理想美の新しい可能性」として高く評価されることもありました。
20世紀に入ると、シュルレアリスムやモディリアーニの細長い人物像など、現実から少しずらした身体表現に関心を持つ芸術家たちに再発見されます。

現代の私たちにとっても、この作品は「正しさ」と「美しさ」が必ずしも一致しないことを教えてくれる一枚です。
解剖学的に完璧ではなくても、線と色のリズムによって成立する美の形がある。
《長い首の聖母》は、そのことを強烈に示す象徴的な存在だと言えるでしょう。

ぬい
ぬい

“正しくないけど美しい”って、アートの本質の一つかもしれないね

うん。整いすぎた世界に飽きたとき、こういうちょっとズレた美しさが刺さるんだと思う

レゴッホ
レゴッホ
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おすすめ書籍

このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。


まとめ:歪みの中に宿る、美の極致としての《長い首の聖母》

パルミジャニーノの《長い首の聖母》は、ルネサンスの「均整」とは異なる価値観が花開いたマニエリスムを象徴する作品です。
聖母の異様に長い首、引き伸ばされた四肢、不安定な姿勢、極端な遠近感、未完成の構図。
一見すると違和感の連続ですが、それら全てが計算された“優雅な誇張”として統合されています。

誇張された美の形は、ただ奇抜なだけでなく、柔らかい布の流れや人物のポーズが音楽的なリズムをつくり、観る者の感覚をゆっくりと絵の中へ引き込んでいきます。
さらに右側の空白や小さすぎる聖ヒエロニムスの存在は、未完成ゆえの謎と余白を残し、鑑賞体験をより豊かにしています。

“正しさより、強度のある美しさ”を求めたこの絵は、後の画家や現代の鑑賞者にも大きな影響を与え続けています。
均整の外側にこそ、美は生まれる――そのことを最も鮮やかに示す一枚と言えるでしょう。

ぬい
ぬい

変だと思ったところが、全部あとから美しく見えてくるのってすごいね

うん。違和感が入口で、魅力が出口になるタイプの名作だよね

レゴッホ
レゴッホ
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