ヤコポ・ダ・ポントルモの《十字架降下》(《キリストの埋葬》とも呼ばれます)は、キリスト教絵画の定番テーマである「十字架からの降架」を扱いながら、どこにも十字架そのものが描かれていないという、かなり風変わりな作品です。
画面いっぱいにうねるように入り組んだ人体、重力を無視したかのようなポーズ、甘く淡いのにどこか不穏な色彩。
ルネサンス後期に現れた「マニエリスム」を代表するこの絵は、美しいのに落ち着かない、不安なのに目を離せないという独特の魅力を放っています。
この記事では、作品の基本データから、ポーズや色彩に込められた意味、さらにポントルモという画家の性格と時代背景まで、なるべく専門用語をかみ砕きながら丁寧に解説していきます。
なんか全員ふわっと浮いてる感じがして、十字架降下なのに降りきってないよね。
その“落ちてこなさ”こそが、この絵の不安定さと魅力なんだよ。そこをじっくり見ていこ。
《十字架降下》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作者:ヤコポ・ダ・ポントルモ
タイトル:《十字架降下》(《キリストの埋葬》とも)
制作年:1525–1528年ごろ
技法:板に油彩
サイズ:約 313 × 192cm
所蔵:サンタ・フェリチタ教会 カッポーニ礼拝堂(イタリア・フィレンツェ)
構成:キリストの亡骸を支える若者たち、聖母マリア、聖ヨハネ、マグダラのマリアなど約10人前後の人物から成る群像
礼拝堂の祭壇画なんだね。ちゃんと教会空間を前提にしたサイズ感なんだ。
そうそう。しかも側面の壁画や天井装飾もポントルモが手がけてて、礼拝堂全体が一つの世界観になってるんだ。
<作者についての詳細はこちら>
ヤコポ・ダ・ポントルモとは?マニエリスムを代表する孤高の画家
マニエリスムを代表する「不安定な十字架降下」
《十字架降下》がまず目を引くのは、構図の“落ち着かなさ”です。
ルネサンスの古典的な作品なら、画面の中心に十字架や水平線が置かれ、安定した三角形構図が好まれました。
ところがポントルモは、十字架そのものを消し去り、人物たちだけで画面を埋め尽くしています。
キリストの身体を抱える青年たちの動きは、対角線状にねじれながら画面を斜めに横切り、見る側の視線をあちこちへと振り回します。
さらに、地面の感覚がほとんどありません。
足元の影はごく薄く、背景もごく簡略化され、人物たちは宙に浮いたように見えます。
この「重力のなさ」は、現実の場面というより、悲嘆に沈む人々の内面世界を視覚化したものとも解釈されています。
理性的でバランスの取れた“正統派ルネサンス”から、感情と不安が前面に出る“マニエリスム”への転換点を象徴する作品と言えるでしょう。
十字架を描かないことで、かえって心の中のドラマが前に出てきてる感じがする。
そう。歴史的な出来事の再現というより、喪失のショックをそのまま絵にしたってイメージだね。
浮遊する人体とねじれたポーズの意味
ポントルモの人物たちは、どれも不自然なほど長くしなやかな手足を持ち、関節がねじれるような姿勢をとっています。
キリストの身体は極端にS字を描き、それを支える若者の足元もどこか頼りなく、今にもバランスを崩しそうに見えます。
こうした誇張されたポーズは、古代彫刻を理想化して描いたルネサンスの次の段階として、「もっと複雑で、もっと美しく、もっと難しいポーズを」というマニエリスム特有の美意識から生まれました。
しかし、単なる技巧の誇示にとどまらないのもこの絵の重要なポイントです。
ねじれた身体つきは、突然の死に直面した人々の混乱や、感情の行き場のなさをそのまま形にしたようにも見えます。
秩序だった世界が崩れ、支えを失った人間がふらつくような不安定さ。
ポントルモの人体表現は、その心理的な揺らぎまで抱え込んでいます。
ちゃんと筋肉とか骨格も描ける人なのに、あえて崩してるのがすごいよね。
そうそう。“下手”なんじゃなくて、わざと不安定にして、感情を増幅させてるんだと思う。
色彩と感情表現:パステルなのに不穏な世界
ポントルモの色彩は、とても印象的です。
淡いピンク、レモンイエロー、薄いブルーやミントグリーンなど、一見するとお菓子のように柔らかいパステルカラーが画面を占めています。
けれども、その色が組み合わさると、不思議な不安感が生まれます。
例えば、手前の若者の背中にかかるオレンジの布と、キリストの青白い肌とのコントラスト。
あるいは、聖母マリアの青いマントと、周りの人物のピンクや黄の衣装の取り合わせ。
本来なら調和を生むはずの色が、ここではどこか「濃すぎる」「軽すぎる」という印象を残し、感情の高ぶりを視覚的に伝えています。
また、背景にはほとんど風景が描かれず、暗く曇った空と一筋の雲が漂うのみです。
空間の情報を削ぎ落とし、人物たちとその感情だけに集中させることで、観る者は自然と彼らの悲しみの渦に巻き込まれていきます。
色だけ見たら、めちゃくちゃ可愛い配色なのに、全然“ハッピー”な絵じゃないのが面白いね。
だよね。ポントルモは色を気分のスイッチみたいに使って、甘さと不安を同時に感じさせてる気がする。
制作背景:フィレンツェ動乱の時代と孤独な天才
この作品が描かれた1520年代のフィレンツェは、メディチ家の支配と共和政のあいだで揺れ動き、政治的にも宗教的にも不安定な時期でした。
ポントルモはもともと繊細な性格で、人付き合いよりも制作に没頭することを好んだと言われています。
カッポーニ礼拝堂の仕事にとりかかった頃には、ほとんど外界との接触を避け、アトリエと礼拝堂を行き来するだけの生活を送っていたという逸話も伝わっています。
そのような閉ざされた環境のなかで描かれた《十字架降下》は、社会の混乱と画家自身の不安、そして信仰への葛藤が混じり合った作品と見ることもできます。
整然とした秩序よりも、揺れ動く感情や、形になりきらない不安をそのままキャンヴァスに定着させようとした点で、この絵は「内面を描く近代的な芸術」の先駆けとしても評価されています。
礼拝堂にこもって、ほぼ引きこもり状態で描いてたって聞くと、この不安な雰囲気も納得しちゃう。
うん。だからこそ、500年たっても“今しんどい人の気持ち”に刺さるところがあるのかもしれないね。
おすすめ書籍
このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。
まとめ:崩れ落ちる瞬間を永遠にした祭壇画
ポントルモの《十字架降下》は、一言で説明できる“正解の読み方”を拒む作品です。
重力を無視したポーズ、甘くも不穏な色彩、背景をそぎ落として感情だけに焦点を当てた構図。
それらすべてが、キリストを失った人々の「足元が崩れていく瞬間」を、時間を止めるように切り取っています。
ルネサンスの調和から一歩踏み出し、人間の心の不安や揺らぎを堂々と提示したこの絵は、「マニエリスムって何?」という問いに、もっとも強く答えてくれる作品の一つだと言えるでしょう。
見れば見るほど“正体不明の不安”がじわじわくる絵だね。
だからこそ、今の感覚で見ても古びないんだと思う。フィレンツェに行く機会があったら、絶対カッポーニ礼拝堂は押さえたいね。

