ウィーンの美術史美術館に収蔵されているラファエロの《ベルヴェデーレの聖母(牧場の聖母)》は、ラファエロがフィレンツェで活動していた時期の代表的な聖母子画として知られています。
丘の広がる穏やかな風景の中で、聖母マリアが幼子イエスと幼児洗礼者ヨハネをやさしく見守る様子が描かれ、静かな空気の中に不思議な緊張感も漂っています。
ラファエロはこの作品で、レオナルド・ダ・ヴィンチから学んだピラミッド型の構図を取り入れつつ、自分らしい柔らかい色彩と端正な人物表現を完成させました。特に、三人の視線としぐさがつくる見えない対話は、宗教画でありながら親子のあたたかい日常にも見えるほど自然です。
牧歌的な風景の中に、やがて訪れる受難の予兆も静かに組み込まれているのが、この絵の大きな魅力です。優しさと切なさが同居する名画として、多くの人に愛されてきました。
この聖母、めちゃくちゃ穏やかな顔してるのに、よく見るとちょっと切ないよね。
そうなんだよ。ふわっと優しいのに、先の運命を知ってる大人の表情って感じがする。
《ベルヴェデーレの聖母(牧場の聖母)》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品名:ベルヴェデーレの聖母(牧場の聖母)
作者:ラファエロ・サンツィオ
制作年:1506年
技法:板に油彩
サイズ:約113 × 88 cm
所蔵:ウィーン美術史美術館(オーストリア・ウィーン)
主題:聖母マリア、幼子イエス、幼児洗礼者ヨハネ
サイズもそこそこ大きいから、実物はかなり存在感ありそう。
ウィーン行ったら絶対チェック案件だね。聖母子シリーズの中でも外せないやつ。
<作者についての詳細はこちら>
ラファエロ・サンティを解説!代表作《アテネの学堂》と聖母子像の魅力
フィレンツェ時代のラファエロを代表する「牧場の聖母」
この作品が描かれた1506年ごろ、ラファエロはフィレンツェで活動していました。
同じ頃に制作された《ヒワの聖母》《美しき庭師の聖母》とともに、「フィレンツェ時代の三大聖母」とも言われるグループに属しています。どの作品も、聖母が中心に座り、その周りに幼子イエスと幼児ヨハネが配置されるという基本構成を共有しています。
フィレンツェでラファエロが出会ったのが、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの作品でした。人物を三角形にまとめる安定した構図や、柔らかい陰影で立体感を出す「スフマート」の表現など、ラファエロは先輩画家から多くを吸収します。それを自分流に整理し、明るく澄んだ色彩と、整ったプロポーションの人物像へと昇華させたのが、この《ベルヴェデーレの聖母》です。
制作当初、この作品はフィレンツェのタッデイ家のために描かれたと考えられています。その後、ハプスブルク家のコレクションに入り、17世紀にはインスブルック近郊の城、18世紀にはウィーンのベルヴェデーレ宮殿に移され、現在の通称「ベルヴェデーレの聖母」という名前で呼ばれるようになりました。
フィレンツェで生まれて、今はウィーン暮らしって、絵画の人生もけっこう波瀾万丈だね。
ヨーロッパ王侯のコレクションを転々として、最終的に美術館で落ち着くパターン、多いよね。
三角形構図がつくる安定感と、さりげない動き
画面をよく見ると、聖母マリアの頭を頂点に、青いマントと赤い衣が大きな三角形を形づくっていることがわかります。幼子イエスとヨハネは、その三角形の底辺にあたる位置で向かい合い、細い葦の十字架を挟んで手を伸ばしています。この三角形構図が、画面全体に安定感と落ち着きを与えています。
しかし、ただ静かなだけの絵ではありません。マリアの体はわずかに左側へひねられ、視線は十字架に触れるイエスに向かっています。ヨハネは片膝をつきながらも前のめりに近づき、幼子同士のやり取りに動きを添えています。三角形の安定と、人物のわずかなひねりや前傾が組み合わさることで、静けさの中にも生命感のある構図になっているのです。
足元に目を向けると、草花がささやかに咲き、手前にはラファエロらしい丁寧な植物表現が見られます。こうした細部の描写が、人物を現実の風景の中にしっかりと根づかせています。
三角形って説明されると「なるほど」なんだけど、見てると全然堅苦しくないのがすごい。
理論を感じさせないバランス感覚って、ラファエロの真骨頂だよね。
聖母マリアと二人の幼子に込められた象徴
《ベルヴェデーレの聖母》に登場するのは、聖母マリア、幼子イエス、そして洗礼者ヨハネの幼少期の姿です。
ヨハネが持つ葦の十字架は、のちにイエスが背負う十字架を予告する象徴です。イエスはまだ赤ん坊ですが、その十字架に小さな手を伸ばし、未来の受難を無意識のうちに受け入れているようにも見えます。
マリアの衣装も意味を持っています。赤い衣はキリストの血や人間としての愛、青いマントは天上の世界や聖性を表すと解釈されます。彼女が二人の幼子を包み込むように座っている姿は、母としての優しさだけでなく、救いの歴史全体を抱きとめる象徴的な存在としても理解できます。
背景に広がる牧場の風景は、作品のもう一つの特徴です。低く連なる丘、遠くに見える町、静かな空のグラデーションが、全体に穏やかな時間を流し、聖なる出来事を日常の風景の中に溶け込ませています。
この平和な景色の中に、幼子たちの遊びと受難の予兆が同時に存在している点が、作品に深みを与えています。
ヨハネの十字架、最初はただのおもちゃみたいに見えるけど、意味を知ると一気に重くなるね。
そうそう。ラファエロはあえて残酷な表現をしないで、優しい雰囲気の中に象徴を隠してる感じ。
牧場の風景とフィレンツェの空気
この作品が「牧場の聖母」と呼ばれるのは、背景の穏やかな草地と田園風景に由来します。
フィレンツェ近郊の丘陵地帯を思わせるこの風景は、現実の特定の場所ではなく、ラファエロが理想化した自然のイメージと考えられています。それでも、フィレンツェ周辺の光や空気を知る人にとっては、どこか見覚えのあるような懐かしさを感じさせる描写です。
空は淡い青から白へと滑らかに変化し、遠景の町や山々は柔らかい空気遠近法で描かれています。人物の輪郭も、硬く線で区切られるのではなく、明るい光の中で自然に溶け合っています。これによって、人物と風景が一体となった、調和のとれた世界が生まれています。
フィレンツェでレオナルドの風景表現に触れた経験が、ラファエロの自然描写を洗練させたと考えられていますが、それを明るく開放的な方向へ発展させている点に、ラファエロ独自の感性がよく表れています。
背景までちゃんと見ると、ほんとに空気が澄んでる感じがする。
フィレンツェの光を、自分の理想の世界に変換してる感じだね。旅行欲が刺激される。
ウィーンまでの来歴と「ベルヴェデーレ」という名前
《ベルヴェデーレの聖母》は、もともとフィレンツェの有力市民タッデオ・タッデイのために描かれたとされます。ラファエロの伝記を残したヴァザーリは、タッデイ家の邸宅にこの絵が飾られていたことを記しています。
17世紀以降、この作品はハプスブルク家のコレクションに加わり、インスブルックの城やアムブラス城を経て、18世紀にはウィーンのベルヴェデーレ宮殿に移されました。そのため、現在よく使われる名称が「ベルヴェデーレの聖母」です。一方、牧歌的な風景にちなんで「牧場の聖母(Madonna del Prato)」とも呼ばれます。
現在はウィーン美術史美術館の目玉作品の一つとして展示されており、ラファエロの聖母子シリーズの中でも、特に完成度の高い一点として評価されています。
名前のバリエーション、多すぎて最初こんがらがるんだよね。
場所で呼ぶか、モチーフで呼ぶかの違いだね。「ベルヴェデーレの聖母」って聞いたらウィーン、「牧場の聖母」って聞いたら風景、って覚えると整理しやすいかも。
おすすめ書籍
このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。
まとめ:静かな三角形の中に、未来の物語が封じ込められた名画
《ベルヴェデーレの聖母(牧場の聖母)》は、ラファエロがフィレンツェで獲得した構図の安定感と、彼本来の明るい色彩感覚が見事に結びついた作品です。
三角形構図に支えられた静かな場面の中で、幼子イエスが十字架に触れ、ヨハネがそっと差し出し、マリアがその様子を穏やかな表情で見守る――このささやかなやり取りの中に、物語の始まりと終わりが凝縮されています。
背景の牧場風景は、そこに生きる人々の日常を思わせつつ、同時に神話的な時間の広がりも感じさせます。人間味あふれる親子の姿と、信仰の象徴が衝突することなく同居している点が、この絵の普遍的な魅力と言えるでしょう。
ラファエロの聖母子画は数多くありますが、その中でも《ベルヴェデーレの聖母》は、穏やかさとドラマのバランスが特に優れた一枚です。
ウィーンを訪れる機会があれば、ぜひ実物の前でゆっくりと、この静かな三角形の世界に浸ってみてください。
ラファエロの聖母って、知れば知るほど「やっぱり王道…」ってなっちゃうね。
分かる。派手な仕掛けはないのに、ずっと見ていたくなる安定感。これぞ名作って感じだね。


