痛ましさと甘美さが同居する聖人像
ローマ兵士として活躍しながら、キリスト教への信仰を理由に処刑された聖セバスティアヌス。
彼の殉教の場面は、多くの画家たちが取り上げてきた人気テーマですが、その中でもソドマことジョヴァンニ・アントニオ・バッツィが描いた《聖セバスティアヌスの殉教》は、とびきり官能的で、どこか夢のような甘さをたたえた一枚です。
青年のようにしなやかな肉体は矢で傷つき、血が静かに流れています。
しかし表情は絶望よりもむしろ、恍惚に近いまなざしで天を仰ぎ、上空からは天使が冠を差し出しています。
痛みと救い、肉体と霊性がせめぎ合うようなこの絵には、ルネサンス後期の複雑な感覚が凝縮されています。
この記事では、ソドマという画家の素顔から、聖セバスティアヌス信仰の背景、この作品ならではの構図や意味まで、できるだけていねいにひもといていきます。
矢だらけなのに、なんか色気がある絵だよね……
そう、それがソドマのヤバいところ。今日はその“ヤバさ”を分解していこう。
《聖セバスティアヌスの殉教》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

タイトル:聖セバスティアヌスの殉教
作者:ジョヴァンニ・アントニオ・バッツィ(通称 ソドマ)
制作年:1525年
技法:油彩・キャンバス
サイズ:約206 × 154 cm
収蔵先:ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
作品形式:両面に絵が描かれた行列用の旗
- 表:聖セバスティアヌスの殉教
- 裏:栄光の聖母子と聖ジギスムント、聖ロッコ、および信心会の信徒たち
絵なのに“旗”っていうのがまずおもしろいね。
そうそう。普通の祭壇画じゃなくて、街を行進するときに掲げられた“動く絵画”なんだよ。
<作者についての詳細はこちら>
ルネサンス期イタリアの画家ソドマをやさしく解説!性格、代表作など
ソドマとはどんな画家か|甘美な表現と型破りな素顔
ソドマ(ジョヴァンニ・アントニオ・バッツィ, 1477–1549)は、北イタリアのヴェルチェッリ出身で、主な活動の場はシエナとローマでした。
若いころはピエモンテ地方の画家スパンツォッティのもとで学び、その後レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロの作風を吸収しながら、自分なりの柔らかい様式を育てていきます。
彼のスタイルは、ローマで花開いた盛期ルネサンスの古典的な美しさと、シエナ派特有の夢見るような抒情性がほどよく混ざったものだと言われます。
柔らかい陰影、甘さを感じさせる表情、どこか憂いを帯びた色調が特徴で、後のマニエリスムへつながる“少しねじれた美”を先取りしているとみなされることもあります。
一方で、人格面ではかなり型破りだったようです。
同時代の評伝では、ソドマは動物が大好きで、自宅にさまざまな動物を飼いならし、家がノアの方舟のようだったと伝えられています。
派手な衣装を好み、身なりも言動もどこか奇人めいていたとも書かれています。
こうした逸話のせいで、彼にはあまり上品とは言えないあだ名がつきましたが、実際の作品を見ると、粗野さとは正反対の繊細さと優雅さが際立っています。
《聖セバスティアヌスの殉教》は、そんなソドマの「甘美な感性」と「大胆な個性」が見事に噛み合った代表作なのです。
変人っぽいのに、絵はめちゃくちゃロマンチックってギャップすごいね。
そういうギャップを抱えてる画家ほど、作品が濃くなるんだよなあ。
聖セバスティアヌスの物語とペスト信仰
この作品の主人公、聖セバスティアヌスは3〜4世紀頃のローマ帝国で活躍した兵士です。
皇帝ディオクレティアヌスの近衛軍に属しながら、実は熱心なキリスト教徒で、地下に潜んでいた信者たちを励まして回っていたと伝えられます。
やがてその信仰が露見し、皇帝の命令で木に縛り付けられ、兵士たちに矢で射させるという刑に処されました。
不思議なことに、このときセバスティアヌスは矢傷から致命傷を負わず、信者たちに手当てされて一度は助かります。
しかし信仰をやめなかったため、再び捕えられて殴打され、最終的に殉教したとされています。
中世から近世にかけて、彼は「疫病から人々を守る聖人」として特に敬われました。
飛んでくる「矢」が病気のメタファーと結びつき、ペストなどの流行病が矢のように人々を襲うイメージと重なったのです。
ソドマの《聖セバスティアヌスの殉教》は、シエナの城門ポルタ・カモッリア周辺に拠点を置いていた「聖セバスティアヌス信心会」の依頼で制作されました。
この団体は、主に病人の看護や貧しい人々の救済を行う慈善組織で、ペストからの守護を願ってこの旗を注文したことが記録からわかっています。
行列の先頭でこの聖人像が掲げられれば、矢を受けてもなお信仰を貫いたセバスティアヌスの姿が、人々の不安と恐怖に対する大きな慰めになったはずです。
矢が“病気の比喩”って考えると、この絵の痛々しさがまた違って見えてくるね。
そうそう。怖いペストが降りかかってくる時代だからこそ、この聖人にみんな本気ですがってたんだと思う。
痛みと美がせめぎ合う聖人像の描写
画面の中央には、一本の木に縛り付けられた若い男性の裸体が、大きく描かれています。
それが聖セバスティアヌスです。
彼の身体は、ほとんど古典彫刻のように理想化されています。
胸や腹の筋肉はしなやかに盛り上がり、腰のひねりと左足の踏み込みによって、全身がS字にねじれています。
これは当時ローマで熱狂的に研究されていた古代彫刻《ラオコーン》のダイナミックなひねりを思わせます。
しかし、その完璧な肉体を容赦なく矢が貫いています。
胸、脇腹、太もも、腕……そこからつたう血は、生々しいはずなのに、ソドマの柔らかい色使いのおかげで、どこか絵の中に溶け込んでいます。
血の赤は決して毒々しくなく、むしろ肌の色を引き立てるアクセントのように扱われています。
セバスティアヌスの顔つきも、単純な苦痛の表情ではありません。
眉は寄せられているのに、口元は静かに閉じられ、視線は天へと向けられています。
その頬には涙が伝っていて、肉体的な痛みと同時に、神への憧れや祈りの感情がにじんでいます。
上空からは、光に包まれた天使が降りてきて、殉教者の象徴である冠を差し出しています。
天使の周囲には金色の光線が放射状に広がり、地上の陰影と対比されることで、聖なる次元と人間の現実が一枚の絵のなかで交差していることを示しています。
こうした構図によって、ソドマは「耐えがたい苦しみ」と「救いへの確信」を同時に描き出しました。
観る者は、聖人への共感と憧れ、そして自分自身の弱さを見つめるような奇妙な感覚に引き込まれます。
痛そうなのに、なんか“美しいから見ていたくなる”っていうのがすごいね。
そこがまさにルネサンス後期っぽいところ。美と苦しみをあえて同居させてくるんだよね。
背景の風景と、両面絵画としての役割
聖人の背後には、奥行きのある風景が広がっています。
遠くには古代風の廃墟やアーチ橋、丘の上の建物がちらりと見え、手前にはうっそうとした木々や岩場が描き込まれています。
柔らかい大気遠近法で、山と空が溶け合うようにつながり、全体に黄味がかった光がかぶさっているのが印象的です。
この「古代の遺跡を含む風景」は、ソドマがローマ滞在中に見た遺跡やラファエロ周辺の絵画から学んだモチーフだと考えられています。
廃墟は「古い異教世界の終焉」と「新しい信仰の勝利」を象徴することが多く、ここでもセバスティアヌスの殉教によって、古い時代を超えた信仰の強さが暗示されていると言えるでしょう。
画面の左右の奥には、小さく人や馬の姿も描かれています。
処刑に立ち会った兵士たちや、遠景を行き交う人々が、聖人のドラマを「歴史の一場面」として位置づけています。
このあたりの細部は、旗を担いで動き回るときにも、見る角度によってさまざまな発見ができるように計算されているようです。
さらに、この作品は裏面にも《聖母子と聖人たち、信心会の人々》が描かれた両面絵画です。
行列では、表側の殉教場面が先頭を飾り、折り返しの場面や停止した場面では、裏面の聖母子と聖人たちが人々の前に現れたと考えられます。
裏面の中央には、シエナの守護者として崇敬された聖母子が座し、その周囲にペストからの守護で知られる聖ロッコなどが配置されています。
白いフードをかぶった信心会のメンバーがひざまずく姿も描かれており、自分たちの活動と信仰を、絵の中で明確に結びつけようとした意図が感じられます。
この旗は、のちにトスカーナ大公ピエトロ・レオポルドによってフィレンツェに移され、現在はウフィツィ美術館の所蔵となりました。
当初、信心会の人々は高額での買い取りの話を断ってまで手放そうとしなかったと伝えられており、それだけ地域社会にとって大切な「守りのイメージ」だったことがわかります。
裏面に自分たちも描いてもらってるって、けっこう自己主張強いね。
でもさ、それだけ“自分たちもこの聖人と一緒に戦ってる”って気持ちが強かったんだろうね。
ルネサンスからマニエリスムへ
ソドマのセバスティアヌスが示すもの
ソドマの《聖セバスティアヌスの殉教》は、純粋な盛期ルネサンスの均整美だけでなく、その少し先の時代の気分――いわゆるマニエリスムの兆し――もよく表しています。
まず、肉体のプロポーションは理想化されているものの、ねじれたポーズや大きく反らせた上半身は、自然な動きというより「美しいポーズありき」で構成されています。
これは、同じ聖人を描いたマンテーニャやペルジーノの作品と比べるとよく分かります。
彼らのセバスティアヌスがより彫刻的・建築的な安定感を重んじているのに対し、ソドマは感情の揺らぎと肉体のしなやかさを優先しているように見えます。
また、光の扱いもドラマティックです。
天使のまわりから降り注ぐ斜めの光線が、画面の一部を強く照らし、他の部分をしっとりとした影に沈めています。
この「スポットライト的」な光は、のちのバロック絵画ほど極端ではないものの、観る者の視線を強く一点に集める効果を持っています。
さらに、聖人の表情は単純な英雄的まなざしではなく、苦痛・諦念・救いへの期待といった複数の感情が混ざり合った、きわめて心理的なものです。
甘い顔立ちでありながら、涙と血がそれを台無しにしないように配置されていて、「壊れそうな美しさ」が強く印象に残ります。
こうした要素の組み合わせは、ソドマが単に宗教画を描いただけでなく、人間の感情と肉体のあいだの複雑な関係を追いかけていたことを示していると言えるでしょう。
この作品をじっくり眺めると、聖セバスティアヌスという一人の殉教者の顔の向こうに、「不安な時代に生きる多くの人々」の姿が、重なって見えてきます。
ただの“信心深い人の物語”じゃなくて、もっと人間くさい葛藤みたいなものが見えてくるね。
うん。それをここまで美しくまとめてるから、何百年たってもこの絵に惹かれるんだと思う。
おすすめ書籍
このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。
まとめ
ソドマが1525年に描いた《聖セバスティアヌスの殉教》は、ただの宗教画ではなく、痛み・美・信仰・心理描写・地域社会の祈りが一枚に重なった非常に複雑で深い作品です。
しなやかで甘美な肉体表現はルネサンスの理想美を受け継ぎつつ、涙を浮かべながら天を仰ぐ表情には、マニエリスムへ向かう「人間の感情の揺らぎ」がはっきりと刻まれています。
また、この作品はもともと行列用の両面旗として制作されたもので、表の殉教図と裏の聖母子図が、疫病に苦しむシエナの人々の祈りを象徴していました。
ペストの脅威にさらされていた時代背景とも強く結びついており、地域の信仰・希望・恐れまでもが絵に焼きついています。
美しさと痛ましさが同時に押し寄せるこの一枚は、“殉教図”という枠を超えて、人間の魂の強さと揺らぎを静かに語りかけてくる名作だと言えます。
まとめて見ても、ほんと深い絵だね。甘いのに刺さるってすごい。
でしょ。ソドマがただの変わり者じゃなくて、超実力派だったってよくわかる作品なんだよ。


