一見すると、ただの酒場の一幕。けれどそこに差し込む一筋の光が、すべてを変えてしまう――。
カラヴァッジョの《聖マタイの召命》は、キリストが弟子マタイを選んだ“その瞬間”を劇的に描いたバロックの傑作です。
ところがこの絵、「マタイがどの人物なのか?」という謎が今も議論されていることをご存じでしょうか?
本記事では、構図や光の意味、人物たちの視線のやりとりを手がかりに、作品に込められた物語とその読み解き方をわかりやすく解説します。

マタイはどれなのーーーー

タイトル:聖マタイの召命(The Calling of Saint Matthew)
制作年:1599年 – 1600年
サイズ:322 × 340 cm
技法:油彩/キャンバス
所蔵先:サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会(ローマ)

闇に満ちた酒場に斜めから差し込む光が、神の召命の瞬間を劇的に演出。
キアロスクーロの代表例として必見の作品だよ!
・キリストが税吏マタイを弟子に選ぶ瞬間を、薄暗い室内で劇的に描いたバロック絵画の代表作。
・光は画面右から斜めに差し込み、マタイの顔とキリストの指先を浮かび上がらせる構図が特徴。
・キアロスクーロの極致とされ、日常の中に神の召命が差し込む瞬間を視覚的に表現している。
主題と背景
この作品は、新約聖書「マタイによる福音書」第9章9節に記されたエピソードを描いたものです。
イエスが町を通りかかると、収税所に座っていたレビ(後のマタイ)を見て、「わたしに従いなさい」と声をかけた。
彼はすぐに立ち上がり、従った。
この場面を、カラヴァッジョは17世紀ローマの酒場風の室内に置き換え、現代的かつ劇的に再構築しました。
見どころ①|強烈なキアロスクーロ(明暗法)の効果

画面右上から差し込む斜めの光が、キリストの到来と神の意志を象徴しています。
- 光の線はまるで舞台照明のようにマタイを照らし出す
- 闇に包まれた背景が、光をさらに際立たせる
- 登場人物たちの顔や手の表情が、影との対比で際立つ
この光と影の対比(キアロスクーロ)は、バロック芸術の象徴的技法であり、カラヴァッジョの代名詞でもあります。
見どころ②|“あの人?”と指差すマタイの驚き
中央の髭の男が、キリストの呼びかけに反応し、自らを指差しているのがマタイだとされています。

- まるで「え、私のことですか?」と戸惑っているような表情
- 神の召命を受け入れる前の一瞬の揺らぎ
- 観る者をマタイの心理に引き込むリアリズム
この“ためらい”の瞬間の表現こそ、カラヴァッジョの人物描写の妙です。
見どころ③|キリストの手のジェスチャー
キリスト(画面右端)はほとんど影の中にいて、控えめな存在ながら、
その右手の動きが画面の焦点となっています。

- 指先はマタイをまっすぐに指している
- このポーズは、ミケランジェロの《アダムの創造》の神の手を引用しているという説もあり
- 神が人間を選び出す「創造」と「召命」を重ねているとも読めます。


確かに!指の感じが似ていなくもない。
見どころ④|時代衣装の現代性

登場人物たちは、聖書時代の服装ではなく17世紀ローマ風の現代服を着ています。
- 当時の市民がそのまま登場したようなリアルさ
- これにより、聖書の物語を“今起きていること”として感じさせる演出が可能に
これはカラヴァッジョの革新性であり、信仰を現実に引き寄せる彼独自の視点でもあります。

今の我々の感覚でいうと、皆スーツ着て描かれているようなものかしら
豆知識|実は“誰がマタイか”議論がある?
中央で指差している人物をマタイとする説が一般的ですが、
一部では「画面の端でうつむいている若者こそがマタイで、中央の人物が彼を指している」という説もあります。

カラヴァッジョは、あえて解釈の余地を残す構図を選び、
観る者の信仰と想像力に訴えかけているとも言われます。

真相が気になるーーーーー!
まとめ|カラヴァッジョの光は“神のまなざし”
《聖マタイの召命》は、キリストの言葉ではなく、光の導線と人物の視線の交差によって物語が語られる、
まさに「視覚で読む聖書の一章」です。
カラヴァッジョの手にかかると、神の奇跡は劇場のような構図で再現され、
登場人物の一瞬の感情が永遠に封じ込められます。

イエスが“来た”って、光でわかるのすごいよね…マタイの“ほんとに僕?”って顔、なんか心が動いちゃう…
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