頬杖(ほおづえ)をつき、憂いを帯びた視線をこちらに投げる男性。
青い上着と背景の海のようなリズム、その手元には長い穂をつけた薬草。赤い卓上が体温のように画面を温めます。
《ガシェ医師の肖像》は、ゴッホがオーヴェル=シュル=オワーズへ移って間もない1890年6月に描いた人物画です。
医師ポール・ガシェは画家を気遣い、ときに制作相手にもなった支援者。ゴッホは彼の繊細さと職能を、色と筆致でまっすぐ描き出しました。
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青と赤のコントラスト、めちゃくちゃ効いてる!
感情の温度差そのものだね。冷静と情熱を色で同居させている。

《ガシェ医師の肖像》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

- 作品名:《ガシェ医師の肖像》/仏題 Portrait du docteur Gachet
- 制作年・場所:1890年、オーヴェル=シュル=オワーズ
- 技法:油彩・カンヴァス
- 主題:医師ポール・ガシェ(手前の植物はジギタリス=キツネノテブクロ)
- 備考:同構図のヴァージョンが2点存在(色調・タッチが異なる)

薬草が置かれてるの、ただの飾りじゃないんだね。
うん、ジギタリスは当時の心臓薬。
医師としてのアイデンティティを示す“記号”だよ。

制作背景|オーヴェルで出会った“医師にして愛好家”
サン=レミを出たゴッホは、弟テオの勧めでガシェ医師の住むオーヴェルへ。
ガシェは医師であると同時に、版画や油彩も嗜むアート・ラバーでした。
彼の理解と庇護のもと、ゴッホは短期間に集中的な制作へ。肖像を描くにあたって、ゴッホは正面性を避けて斜めに構え、頬杖の姿勢で内面の揺れを掴みにいきます。

モデルが“わかってる人”だったから、こんなに踏み込めたのかも。
そう。医師としての眼差しと、芸術への共感が同居する相手だった。

構図の読み方|頬杖・斜め・近景の赤
画面は上半身のアップ。右上から左下へ流れる斜めの軸が、頬杖の重みを作ります。
肘を置く赤いテーブルが手前で広く開き、鑑賞者との距離を一気に縮める。
手前から奥までS字の流れが連続し、沈鬱になりがちな表情に動くリズムを与えています。

静かなポーズなのに、画面が止まってない!
斜めの設計が利いてる。
視線が“手→顔→帽子→背景”と循環するんだ。

色彩と筆致|冷たい青に、体温の赤を差し込む
背景と上着は群青〜コバルトの幅広い青。タテとヨコのストロークが交差し、水面のような揺らぎを生みます。
肌は黄〜オーカーにわずかな緑を混ぜて、血の気と疲れを同時に表現。
卓上の赤(橙寄り)は熱源のように画面を温め、ジギタリスの緑が冷却材として働く。
黒い影で締めず、補色と明度差を重ねて立体と感情を起こすのがゴッホ流です。

背景の筆づかい、波みたいで気持ちいい。
近寄ると“線のリズム”、離れると“色の和音”に見える。二段階の見え方だね。

象徴を読み解く|ジギタリスと“メランコリーの手”
卓上の植物はジギタリス(キツネノテブクロ)。当時は心臓薬として知られ、医師の専門をさりげなく示します。
頬杖は西洋絵画でメランコリー(思索・憂い)を示す古いポーズ。ゴッホはこれを正面性の強いバストショットに組み込み、職能と性格を一枚に凝縮しました。

説明がなくても“何かを考え込んでる”って伝わるね。
形の記号と色の温度で、言葉より先に意味が届く設計になっている。

2つのヴァージョン|何が違うのか


この肖像には色調とタッチが異なる2点があります。
一方は鮮やかな青と赤のコントラストが強く、もう一方はやや落ち着いた色合いで、線の輪郭がはっきり。
どちらもジギタリスを添え、頬杖の構図は共通です。同じ主題を色の温度違いで実験した、と捉えるのが自然でしょう。

見比べると“温度設定”の違いが分かる!
そう、同じ旋律を別のキーで弾くみたいな差だね。

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まとめ|人を“色の和音”で描くということ
《ガシェ医師の肖像》は、顔立ちの再現を超えて、性格・職能・空気まで同時に響かせる人物画です。
冷たい青と熱い赤、そこに薬草の緑。三つ巴の色が感情の和音になって、見るたびに違う表情で鳴ります。
オーヴェルの短い時間の中で、ゴッホが他者をまっすぐ見つめ抜いた証拠が、ここにあります。
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“似てるかどうか”より、空気を描いてる感じがする。
そう。人物画の核心は、形だけでなく“温度”を記録すること。
ゴッホは色でそれをやってのけたんだ。
