「ルネサンスって言葉は知っているけどよくわからない」、「世界史で学んだ記憶はあるけれど説明は出来ない」そんなルネサンスについて興味を持っている方の為に、ルネサンス美術についての解説をします。長くなっていますが是非最後までご覧ください。
ルネサンス=「文芸復興」って時代は終わったらしいよ。
ルネサンスとは
ルネサンス(Renaissance)は、14世紀から17世紀にかけてヨーロッパで起こった文化、科学、芸術の再興運動です。
その名称はフランス語で「再生」や「復活」を意味し、古典古代のギリシャ・ローマ文化への回帰を目指した時代を指します。
中世はキリスト教中心の世界だったけど
文芸だけじゃなく色んなものが復活したんだね。
中世の宗教美術が抑圧していた自由な人間性や写実的な表現を再び追求する芸術運動が盛んになりました。
初期ルネサンスは、当時経済的に栄えていた商業都市フィレンツェで始まり、16世紀には海運で繁栄したヴェネツィアでその影響力を広げていきました。
ルネサンスの年代区分
一括りで「ルネサンス美術」とも言いますがもっと詳細に分ける場合もあるので紹介します。
これらの区分は一部の例であり、実際にはルネサンスはこれらの期間をまたいで徐々に展開し、地域ごとに異なる特徴を示します。
また、ルネサンスの終わりはバロックへの移行と見ることもできますが、その境界線は必ずしも明確ではありません。
一括りに「ルネサンス」ともいえるけど細かく見れば複数の様式に分けられます!
プロト・ルネサンス
ルネサンスの前段階であり、13世紀から14世紀にかけてイタリアで見られた芸術運動や文化的変化を指します。
この時期は正式なルネサンスの始まり前に位置づけられ、ルネサンスの理念やスタイルの萌芽が見られます。
- 古典の再評価: 古典古代のギリシャ・ローマの芸術や思想への関心が高まり始めます。
- 自然主義への傾向: 自然界や人間の形状をより観察し、リアルに描写しようとする動きが現れます。
- 透視法の初期形: 空間認識や三次元的な表現への試みが始まり、後の透視法への道筋をつけます。
- 人文主義の萌芽: 人間中心の視点が少しずつ強調され始め、教育や哲学でも新たな考え方が浸透します。
動き出しって感じだね。
- ジョット・ディ・ボンドーネ: プロト・ルネサンスの象徴的な画家とされ、彼の作品は自然主義的な表現や感情表現を深化させました。特に、アシジの聖フランチェスコ教会のフレスコ画やパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の壁画が有名です。
プロト・ルネサンスは、中世末期のゴシック様式からルネサンスへの移行期であり、芸術や思想が変革を迎える重要なステップでした。
この時代に見られた変化は、15世紀以降のルネサンスの爆発的な発展の礎となりました。
初期ルネサンス
初期ルネサンスは、ルネサンス運動の始まりを示す時期で、約1400年から1490年頃にかけてイタリア半島、特にフィレンツェで発展しました。
この時期は、古典古代の再評価、人文主義の興隆、そして芸術における革新的な手法の導入が特徴的です。
- 人文主義: 中世の神中心主義から人間の尊厳と個性への関心が高まりました。これは教育、哲学、そして芸術に影響を与え、人間をより自然に、そして理想的に描く傾向が強まりました。
- 透視法: フィリッポ・ブルネレスキが透視法を開発し、これにより絵画や建築で空間を三次元的に表現することが可能になりました。
- 自然主義: 自然の観察と記録が重視され、身体の構造や表情をリアルに描く努力が見られます。マサッチオの作品がその良い例です。
- 古典の影響: ギリシャ・ローマの建築や彫刻の形式が再評価され、芸術作品に取り入れられました。ドームや円柱の使用がその一例です。
初期ルネサンスは、その後の盛期ルネサンスやマニエリズムへと続く大きな変革の幕開けであり、芸術、科学、哲学において新たな視点と手法を確立しました。
この時代の革新と発展は、ヨーロッパの文化的、知的活動の基盤を形成しました。
おおおお!始まってきた!
初期ルネサンス主要な芸術家と作品
マサッチオ
マサッチオ(1401年頃 – 1428年)は、ルネサンス初期のイタリアの画家であり、フィレンツェで活動しました。
彼は絵画における遠近法の使用や立体感の表現で知られ、ルネサンス美術の重要な先駆者とされています。
マサッチオの作品は、人間性と自然主義を強調しており、彼の革新的な技法は後世の芸術家に大きな影響を与えました。
最も有名な作品の一つは、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会にあるフレスコ画『聖三位一体』です。
この作品では、初めて一貫した遠近法が適用され、視覚的な深みとリアリズムが見事に表現されています。
キリストの磔刑を描いたこのフレスコでは、背景の建築物も含めてすべてが同一視点から描かれ、空間感や立体感が非常に洗練されています。
また、『楽園追放』や『貢の銭』などのフレスコ画も重要です。
『楽園追放』では、アダムとイブの表情や動きから人間感情やドラマチックな物語性が伝わってきます。
『貢の銭』では、聖ペテロが魚から金貨を取り出す場面が描かれており、ここでもマサッチオは光と影の使用、そして人物のポーズや表情を通じて物語を生き生きと伝えています。
マサッチオのキャリアは短く、彼はわずか27歳で亡くなりましたが、その間に残した作品はルネサンス美術の発展に不可欠なものとなりました。
彼の死後、ミケランジェロやラファエロなど後の世代の芸術家たちは、マサッチオの作品から大きな影響を受け、その技法とアプローチをさらに発展させました。
マサッチオは、絵画の技術だけでなく、人間性を深く探求し、現実世界を描くことで神聖なテーマをより身近に感じさせる力をもった画家として、今も高く評価されています。
サンドロ・ボッティチェッリ
サンドロ・ボッティチェッリ(1445年-1510年)は、イタリアのルネサンス期を代表する画家であり、フィレンツェ派に属しています。
本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・ディ・ヴァーノ・フィリペーピですが、「小さな樽」という意味の「ボッティチェッリ」の愛称で知られています。
ボッティチェッリはフィレンツェの有力者メディチ家と深い関係を持ち、彼らの庇護の下で活動しました。
この環境は、彼の芸術的な発展に大きな影響を与えました。
特に、哲学者マルシリオ・フィチーノのプラトン主義の思想に触れ、その影響が作品に見受けられます。
彼の最も有名な作品として、『ヴィーナスの誕生』(約1484-1486年)と『プリマヴェーラ』(1478年頃)が挙げられます。
『ヴィーナスの誕生』は、ギリシャ神話のヴィーナス(アフロディーテ)が海から誕生する瞬間を描いており、その美しさと透明感あふれる色彩は、ルネサンスの理想美を体現しています。
『プリマヴェーラ』では、春の到来と愛を讃える神話的なシーンが描かれ、細部までこだわった描写と象徴性が注目されます。
ボッティチェッリのスタイルは、線描に重きを置き、優雅で伸びやかな人物像と、明確な輪郭線、そして色彩の微妙なグラデーションが特徴的です。
彼はまた、キリスト教の主題も多く手がけ、フィレンツェの教会のためにフレスコ画や祭壇画を制作しました。
晩年は、サヴォナローラの影響を受けて、より宗教的なテーマに専念し、絵画のスタイルも簡素化されました。
しかし、その後の再評価により、彼の作品はルネサンス美術の重要な一部として認識されています。
ボッティチェッリの芸術は、人間美と自然の美を表現する手段としてだけでなく、哲学的・宗教的な問いかけを含む深い内容を内包しています。
盛期ルネサンス
盛期ルネサンスは、ルネサンス運動の中で最も輝かしい時期とされ、約1490年から1527年(特に1500年から1520年代がピーク)にかけてイタリアで展開しました。
この時期は芸術、科学、哲学の各分野で頂点に達し、調和、バランス、そして理想的な美が追求されました。
- 芸術の頂点: 絵画、彫刻、建築において、技術的完成度と芸術的表現が極めて高く評価されます。透視法や人体解剖学の知識が最大限に活用され、自然主義と理想主義の融合が見られます。
- 三大巨匠: レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロが同時代に活躍し、彼らの作品は後世への大きな影響を与えました。
- 調和と均整: 建築では、古典的な要素(例えばドームや円柱)が理想的な比例感を持って使用され、絵画では色彩、光、影のバランスが完璧に整えられました。
- 人間の理想化: 人間像が理想化され、神聖化される傾向が強まり、神話や宗教のテーマが芸術を通じて新たに解釈されました。
盛期ルネサンス主要な芸術家と作品
盛期ルネサンスは三大巨匠と言われている人物が活躍しました。
盛期ルネサンスは、芸術の技術的・美的完成度の高さから、しばしば「ルネサンスの黄金時代」とも呼ばれます。
ただし、この時期の終焉は、1527年のローマ略奪や、芸術家の個性が強調されすぎることで生じたマニエリスムへの移行とも関連しています。
三大巨匠については「ルネサンス三大巨匠」パートで後述しています。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)は、イタリア・ルネサンスの象徴的存在であり、画家、彫刻家、科学者、発明家、建築家、解剖学者など多方面にわたる才能を持つ万能人として知られています。
フィレンツェ近郊のヴィンチ村で生まれたレオナルドは、若い頃にヴェロッキオの工房に入門し、そこで基礎的な技術を学びました。
彼の最初の作品は『キリストの洗礼』の補助者として参加したもので、その後『受胎告知』や『最後の晩餐』などで独自のスタイルを確立していきます。
レオナルドの最も有名な絵画は「モナ・リザ」で、その神秘的な微笑みや微妙な色彩のグラデーションは、視覚的な錯覚と心理学を結びつけた芸術表現の最高峰とされています。
他にも『最後の晩餐』は、透視法と光の使用により空間と時間の感覚を巧みに捉え、キリスト教の物語を視覚的に描写しました。
科学者として、レオナルドは多くの分野で先駆的な研究を行いました。解剖学では、遺体を観察し、体の構造と機能について詳細なスケッチを残しました。
また、工学では飛行機、戦車、潜水艇などのデザインを発想し、今日の技術革新の先駆けとなるアイデアを数多く生み出しました。
彼のノートブックには、科学的観察から発明のアイデアまで、多岐にわたるメモやスケッチが記されています。
これらは「レオナルドの写本」として知られ、鏡文字で書かれているため、読むには鏡を使うかそれを反転させる必要があります。
レオナルドはまた、自然観察者でもあり、地質学、植物学、水文学など自然界の現象を研究しました。彼の地質学の研究は、地層と化石の形成についての初期の理論を提供し、科学史に貢献しました。
晩年はフランスのフランソワ1世の宮廷に招かれ、そこで『聖アンナと聖母子』などの作品に取り組みました。
1519年にアンボワーズで亡くなるまで、彼は常に学び、創造する生活を送りました。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンスの理想、「ホモ・ウニヴェルサリス」(全能の人間)の具現化であり、彼の探求心と知識欲はその時代の知識と美学を超え、現代にも影響を与え続けています。
ミケランジェロ
ミケランジェロは、ルネサンス期を象徴するイタリアの芸術家で、彼の多才さは彫刻、絵画、建築、詩に及びます。1475年に生まれ、1564年に亡くなるまでの長い人生で、彼は数々の名作を生み出しました。
彫刻では、『ダヴィデ』がその頂点で、フィレンツェの象徴とも言えるこの作品は、人間性の美しさと力強さを表現しています。
また、『ピエタ』は聖母マリアと死せるキリストの哀しみを描き、バチカン市国に安置されています。
絵画では、バチカンのシスティーナ礼拝堂天井画が最も有名で、創世記の物語を壮大に描き出しました。
同じくシスティーナ礼拝堂にある『最後の審判』も、キリストの再臨と人類の審判を劇的に表現しています。
他にもサイゼリアの絵画としても有名な『アダムの創造』もミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いた作品です。
建築面では、サン・ピエトロ大聖堂の壮麗なドームの設計に貢献し、フィレンツェのカンピドリオ広場の再設計も手掛けました。
これらの建築は、都市の美学と機能を高める役割を果たしています。
詩人としての側面もあり、後年には自身の内面や苦悩を詩に託しました。
ミケランジェロの作品は、ルネサンスの理想を具現化し、芸術を通じて人間の尊厳や可能性を追求したものです。
ラファエロ
ラファエロ・サンツィオはイタリア・ルネサンス期の画家で、1483年から1520年まで生きました。
彼は「ラファエル」としても知られ、その優雅さとバランス感覚から「神聖な絵描き」とも称されます。
ウルビーノ出身で、父ピエトロ・ペルジーノのもとで絵画を学び、フィレンツェでレオナルドやミケランジェロから影響を受けました。
25歳でローマに招かれ、バチカンの装飾に携わります。ラファエロの絵画は調和と明瞭さ、人間性の描写が特徴的で、特に聖母像が有名です。
代表作には『アテネの学堂』や『システィーナの聖母』があります。
わずか37歳で亡くなったものの、彼の芸術は西洋美術に多大な影響を与え、ルネサンスの理想を具現化しました。
彼の建築への関心も高く、ローマの都市計画に影響を与えました。
マニエリズム
マニエリスムは、ルネサンス美術からバロック美術への過渡期にあたる芸術運動で、1520年代から1600年代初頭にかけてヨーロッパ全土で広がりました。このスタイルは、盛期ルネサンスの調和とバランスから逸脱し、より個性的で複雑な表現を追求しました。
- 個性の強調: アーティストの個人的スタイルや技法が重視され、規範や古典的な美の理想から逸脱する傾向が見られます。
- 誇張と不均衡: 身体のプロポーションの誇張、非対称性、奇妙なポーズや動きなど、自然主義から離れた表現が特徴的です。
- 感情表現: 心理的な深みや感情の劇的な描写が試みられ、不安定さや緊張感を描く傾向があります。
- 色彩と技法: 色彩の使用は鮮やかで、しばしば不自然な組み合わせが見られます。また、光と影のコントラストを強調し、異常な視点や透視法の歪曲が採用されることもあります。
- テーマの複雑さ: 寓意や神話、宗教的なテーマが複雑に交差し、しばしば難解なメッセージや象徴が含まれます。想化され、神聖化される傾向が強まり、神話や宗教のテーマが芸術を通じて新たに解釈されました。
マニエリズムの主要な芸術家と作品
記事が長くなってしまうので代表して1名、パルミジャニーノの『長い首の聖母』を紹介します。
『長い首の聖母』はマニエリスムの典型的な作品で、身体の比率やポーズの奇抜さが際立ちます。
マニエリスムは、一見奇抜で理解しづらい面もありますが、芸術家が自分の個性や創造性を自由に表現する道を開いた点で重要です。
また、このスタイルはバロック美術への道筋をつけ、芸術の進化を促しました。
ルネサンスの三大巨匠
ルネサンス期のイタリアでは、多くの才能ある芸術家が登場しました。
特に16世紀初頭の輝かしい時代に活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの3人は、盛期ルネサンスの「三大巨匠」と称されます。
レオナルドは「万能の人」として知られ、絵画以外にも哲学や自然科学など多岐にわたる分野で才能を発揮しました。
一方、ミケランジェロは彫刻と絵画で、力強い人体表現とダイナミックな構成で名を上げました。
ラファエロは、他の二人から学びながらも、調和と美しさを兼ね備えた独自のスタイルを確立し、大いに人気を集めました。
彼らの作品や活動は、ルネサンスの精神を具現化し、芸術家が単なる職人から尊敬される存在へと地位を高めるのに寄与しました。
彼らが西洋美術史で特別な位置を占めるのは、その影響力が当時の枠を超えて、後世にまで広く及んだ点にあります。
ルネサンス期に流行った主題
ルネサンス期には、聖書や神話を主題とした作品が流行しました。
聖書を主題にした作品
聖書を主題にした作品を紹介します。
まずは、「受胎告知」です。
「受胎告知」は、キリスト教の信仰の中で非常に重要な出来事であり、天使ガブリエルがマリアにイエス・キリストを身ごもることを告げた瞬間を指します。
下記はルネサンス期に描かれたフラ・アンジェリコの『受胎告知』です。
次に「聖母子像」です。
「聖母子像」は神の子イエスとその母であるマリアの間にある聖なる情愛を描いた場面を指します。
聖母のアトリビュートは赤い衣や青いマントです。
下記はルネサンス期に描かれたラファエロの『フォニーニョの聖母』です。
次に「十字架降下」です。
「十字架降下」は、キリスト教美術における重要なテーマの一つで、イエス・キリストの死後、その遺体が十字架から降ろされる瞬間を描いたものです。
このシーンはイエスの死と埋葬の物語の一部であり、信仰と悲しみ、そして希望の象徴として表現されます。
下記はルネサンス期に描かれたウェイデンの『十字架降下』です。
神話を主題にした作品
ルネサンス期に描かれた神話を主題にした作品も多く存在します。
一つ目はティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』です。
この作品はギリシャ神話のヴィーナス(アフロディーテ)を主題に描いた作品です。
中世まではキリスト教布教のための宗教画が描かれていましたが、ルネサンス期からはギリシャ神話の主題も描かれました。
次にご紹介するのは、ボッティチェリの『パラスとケンタウロス』です。
主題となっているのは、ギリシャ神話のアテナ(パラス・アテナ)とケンタウロスの物語です。
フィレンツェ派とヴェネツィア派
15世紀のフィレンツェ派は、遠近法や解剖学の研究を通じて空間と人物の構造的な理解を深め、これをバランス良くキャンバスに配置するための素描を重視しました。
当時の絵画技法としては、乾燥が早く修正が難しいフレスコ画やテンペラ画が一般的でした。そのため、下描きに基づいて計画的に作品を完成させることが重要でした。
一方、16世紀のヴェネツィア派は、空間や対象の均整よりも色彩や筆触、そして情感の表現を重視しました。
この時期に改良された油絵具は、層を重ねたり削ったりできる特性を持っていたため、より感覚的な描画が可能となりました。
徒弟制
徒弟制は、職人工房に弟子として入門し、親方の指導の下で専門的な知識と技術を習得する制度です。このシステムでは、工房内の職人たちが親方の指示に従い、共同で作業を分担しながら、絵画、彫刻、工芸品、建築など多岐にわたるスキルを磨き上げます。
例えば、彫刻家としても知られるヴェロッキオの工房では、レオナルド・ダ・ヴィンチや、ラファエロの師とされるペルジーノが修行しました。
絵画技法
ルネサンス期には、テンペラ画、フレスコ画、油彩画の三大技法が使用されました。
テンペラはイタリア語で「混ぜ合わせる」という意味から来ており、卵黄と顔料を混ぜた絵具を使い、板の上に描かれます。
金箔を使った装飾も特徴的でした。フレスコは「新鮮な」という意味の言葉に由来し、湿った漆喰に水溶性の顔料で絵を描く技法です。
油彩画では、油絵具が中世後期から部分的に用いられていたものの、その特性を最大限に活かす技法が確立しました。
特に、ファン・エイク兄弟によって、透明感のある色彩と詳細な描写が可能になりました。
油絵具の乾燥が遅い性質を利用したソフマート(sfumato)という手法は、明暗の微妙な変化で形を柔らかく表現するものです。
また、この時期に発展した空気遠近法は、遠くの景色が青くかすむ現象を利用し、色彩で空間の奥行きを表現しました。
彫刻の変化
中世の彫刻は主に教会や修道院の建築に組み込まれることが多く、物語性や宗教的なメッセージを伝えるために用いられましたが、ルネサンス期に入ると、古代ギリシャやローマのような独立した彫像が増え、記念碑的な作品も多く生み出されました。
また、この時代では裸体表現が注目され、ドナッテロの『ダヴィデ』から始まり、ヴェロッキオやミケランジェロに至るまで、コントラポストに基づいた自然な人体表現が継承されました。
さらに、ギベルティは彫刻に遠近法を取り入れ、色彩を用いることで新たな表現手法を開拓しました。
以下にルネサンス期の彫刻の変化について解説します。
これらの具体例から見て取れるように、ルネサンス期の彫刻は、古代の美学を再評価しつつ、技術革新と解剖学的研究を通じて、個々の表現力を強化し、芸術の新たな地平を切り開きました。
独立像の増加
古代ギリシャやローマの影響を受けて、建築から独立した彫像が注目を集めるようになりました。
これにはドナッテロの『ダヴィデ』(1408-1409年)が初期の例として挙げられます。
この像は単独で置かれることを前提に制作され、ルネサンスが求めた人間の理想的な美を象徴しています。
記念碑的な作品
ヴェロッキオの『コロンバの騎馬像』やミケランジェロの『モーゼ』など、公共の場に設置される大規模な記念碑的な彫像が増えました。
これらの作品は、都市や個人を栄光づけるために制作されました。
裸体表現の深化
ルネサンスの彫刻家たちは、人間体の解剖学的な理解を深め、裸体表現に特化しました。
ドナッテロは『ダヴィデ』で自然な身体の重心移動(コントラポスト)を導入し、これはヴェロッキオの『ダヴィデ』やミケランジェロの『ダヴィデ』(1501-1504年)へと受け継がれ、より洗練された形で表現されました。
遠近法の導入
ロレンツォ・ギベルティはフィレンツェ大聖堂の洗礼堂扉で、遠近法を応用した浮き彫りの技法を開発しました。
その中でも特に有名な『天国の門』は、深みのある立体感と物語性を兼ね備えた革新的な作品であり、彫刻に色彩を加えることによって視覚的な効果を高めました。
おすすめ書籍
ルネサンス美術を学ぶのにおすすめの本は左のリンクでご確認ください。
ここでは、西洋美術史を勉強するのにおすすめの本を1冊紹介します。
『西洋・日本美術史の基本改訂版 美術検定1・2・3級公式テキスト』は、タイトルの通り美術検定の公式テキストであり西洋美術だけでなく日本の美術についても広く学ぶことが出来ます。
この本一冊で西洋美術史の基礎は学習できるので本当におすすめの一冊です。
このサイトでも参考にさせて頂いています。
まとめ
今回は西洋美術史の中でもルネサンス期について解説していきました。
三大巨匠をはじめルネサンス期は非常に有名な作品が多いので今後も記事の手直しやリンク先の追加をしていくと思うので定期的に覗きに来ていただけると嬉しいです。