サン=レミの療養院で、ゴッホは病室と小さなアトリエの窓から見える風景を何度も描きました。本作《塀で囲まれた麦畑の向こうの山並み》は、その“定点”の眺めを黒チョークで素早くとらえた紙上のドローイングです。塀に接する畑、その向こうの低い山脈(アルピーユ山脈)、点在する建物や木々。画面の余白に小さく添えられた色指定の書き込みからは、あとで油彩へ展開する意図や、現場の光の印象が生々しく伝わってきます。
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」で来日する作品です。
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風が走った跡まで線になってるね
だろ?音まで聞こえるように描いてんだ

《塀で囲まれた麦畑の向こうの山並み》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

題名:塀で囲まれた麦畑の向こうの山並み
制作年:1890年2月
制作地:サン=レミ・ド・プロヴァンス
技法・素材:黒チョーク/紙
サイズ:31.2 × 23.8 cm
所蔵:ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)

メディウムが油じゃないの新鮮
紙とチョーク、現地のスピード勝負ってやつさ

<同年代に描かれた作品まとめ>
ゴッホのサン=レミ時代の作品まとめ!療養院の窓辺から生まれた物語
窓からの“定点観測”が生んだ構図
療養院入院後、ゴッホは病室とは別にアトリエ用の部屋も与えられました。そこは古い庭に面し、塀越しに広がる麦畑と、小屋や並木、その遠景に連なるアルピーユの山並みが見渡せました。本作はその視界をほぼ水平に切り取り、手前の畑をうねるような曲線で満たし、視線を奥へ導いていきます。塀は一気に引いた直線で、自然のリズムと人工物の対比をはっきりさせています。
紙面に残る小さな注記は、空や樹木、斜面の色合いを記すメモ。ドローイング自体が“現場ノート”として機能し、後日の色彩設計に直結したことがわかります。

スケッチってより設計図に近いね
そう、次の一手まで書き込んどくのがコツ

線で描く風の流れ、地形のうねり
黒チョークのストロークは、穂先のそよぎや畑の地表の起伏を細やかな反復線で可視化しています。中景の木々は短いカール状の筆致で葉の密度を示し、遠景の山は緩いS字でやわらかく連ねる。線種の切り替えだけで“近・中・遠”を描き分ける手腕は、同時期のペン画やリードペン素描とも共鳴します。
また、画面下半の大きな渦巻き状の線群は、畑の草むらに落ちる風の影と踏み跡をまとめて表現しているように読めます。後年の油彩版で見られる色の帯(黄土・青緑・群青)に先立ち、ここでは線だけで運動感を作り出しています。

線が増えるほど静けさが逆に濃くなるの不思議
動きが止まった“瞬間”を重ねてるからな

同テーマの油彩との関係

このモチーフは、2月の終わりから3月にかけて油彩にも展開されます。紙面に点在する色メモや樹種の描き分けは、のちの色彩決定を見据えたもの。油彩では空の青と畑の黄緑が強く響きますが、その配色の骨格は本作の線構成の時点で固まっていたと考えられます。サン=レミ期に繰り返し描かれた「塀・麦畑・アルピーユ」という三要素の“標準形”が、ここにあります。

まずはモノクロで“楽譜”を作る感じか
そうそう。色はあとから奏でる音だよ

生活の近景としての風景
療養院の敷地から見える範囲だけでこれだけのバリエーションを生み出せたのは、日々同じ窓辺に座り、光と風の変化を身体で覚えていたからにほかなりません。季節の移ろい、麦の生育、剪定された木の影――それらは遠出の旅風景ではなく、療養生活のリズムに寄り添う“日常の地図”でした。本作の素描は、ゴッホがその地図を線で反復し、心の均衡を取り戻そうとした痕跡でもあります。

見慣れた景色ほど、描き続けると深くなるね
毎日見るから、毎日ちがうのがわかるんだ

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まとめ ―― 窓の内と外をつなぐ、静かな呼吸の絵
《塀で囲まれた麦畑の向こうの山並み》は、ゴッホがサン=レミの療養院で見つめ続けた“限られた風景”の中に、自由の気配を描き込んだ作品です。
塀は境界であると同時に、世界の広がりを意識させる装置として働いています。
その向こうに続く畑と山々は、遠くへと導くリズムを持ち、風や光の移ろいが筆跡に乗って流れていきます。
この作品に漂うのは、静けさではなく「呼吸」です。
療養という制約の中でも、ゴッホは自然のリズムとともに絵筆を動かし、空と地のあいだに通う風をそのまま線に変えました。
小さな紙の上に閉じ込められた線描が、いま見ても動きを失っていないのは、その筆跡が“風の記憶”そのものだからです。

塀があるのに、ぜんぜん閉じこもってる感じしないね
うん。見える範囲を描いたんじゃなくて、“届く風”を描いたんだと思う

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