ヴェネツィア派の巨匠ジョルジョーネが残した数少ない確実作のひとつが、《カステルフランコの祭壇画》(《カステルフランコの聖母》)です。
玉座に座る聖母子の足もとには、甲冑に身を包んだ若い騎士と、質素な修道服の聖フランチェスコ。背景にはジョルジョーネらしい柔らかな風景が広がり、全体は静かな対話のような空気に包まれています。
いかにも伝統的な宗教画に見えますが、実はこの祭壇画は、若くして亡くなった一人の騎士を悼むために描かれました。玉座の下に眠るのは誰なのか、なぜ聖母はあんなに高い位置に描かれているのか。作品の成り立ちを知ると、一見おだやかな場面が、ぐっと切ない意味を帯びてきます。
この記事では、作品の基本データから登場人物、構図の工夫、制作の背景となった追悼の物語まで、できるだけわかりやすく丁寧に解説していきます。
ぱっと見は穏やかな聖母子画だけど、実は追悼の絵って聞くと印象変わるね
だよな。静かな画面の下に、人の人生ドラマが隠れてるのがジョルジョーネっぽいわ
《カステルフランコの祭壇画》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

・作品名:カステルフランコの祭壇画
・作者:ジョルジョーネ
・制作年:およそ1503〜1504年ごろ
・技法:板に油彩
・サイズ:約200.5 × 144.5 cm
・所蔵:カステルフランコ・ヴェネト大聖堂(イタリア、ヴェネト州)
今でも画家の故郷の教会に飾られてるって、なんかいい話だな
観光で行くと“街の宝”感すごそうだよな。祭壇画はやっぱ現地で見てこそだわ
<作者についての詳細はこちら>
カステルフランコの祭壇画とは?概要と制作背景
この作品は、北イタリアの傭兵隊長トゥツィオ・コスタンツォが、息子マッテオのために依頼した祭壇画です。マッテオはヴェネツィア共和国に仕える騎士でしたが、1499年ごろ若くして病没しました。その追悼として、家族礼拝堂とともにこの祭壇画が制作されたと考えられています。
礼拝堂では、聖母子の玉座の下にマッテオの墓が置かれ、その両側の壁にもコスタンツォ家の墓碑が並んでいました。つまり、礼拝堂全体が、聖母子と二人の聖人に見守られながら眠る一家の霊廟として設計されていたわけです。
作品の下部中央に描かれた円形の盾には、コスタンツォ家の紋章である「三対の肋骨」があしらわれています。画面上ではさりげない意匠ですが、依頼主が誰で、誰を悼むための祭壇画なのかを示す重要なサインです。
ちゃんとお墓とセットで設計された絵って聞くと、急に“家族のための作品”って感じがするね
だよな。単なる教会用の宗教画じゃなくて、依頼主の人生とガッチリ結びついてるのがエモい
高い玉座と聖母子:異例の構図が生む距離感
画面の中心には、高いひな壇の上に座る聖母マリアと幼子イエスが描かれています。聖母は深い緑の衣と赤いマントをまとい、膝の上で眠るように身を横たえる幼子を静かに支えています。
ルネサンスの祭壇画でよく見る「聖会話(サクラ・コンヴェルサツィオーネ)」では、聖母と聖人たちはほぼ同じ高さに並ぶのが一般的です。しかしこの作品では、聖母子の玉座が極端に高く、下に立つ聖人たちと視線が交わりません。この大胆な高低差によって、聖母子の存在は一段と超越的に感じられます。
玉座の側面を飾る布や刺繍の意匠は、ヴェネツィアらしい豪奢なテキスタイル表現で、ジョルジョーネの色彩感覚の豊かさを物語っています。鮮やかな赤や緑が、周囲の柔らかな風景と対比されることで、聖母子が「この世界の中にありながら、別格の存在」であることが視覚的に伝わってきます。
聖人たちと同じ高さじゃなくて、かなり上に座ってるのがポイントなんだな
そうそう。距離をあけることで“雲の上の存在”感を出してるのがうまいよな
騎士と修道士:聖ニカシウスと聖フランチェスコ
玉座の左側には、全身鎧に身を包んだ若い騎士が立っています。長い槍を手にし、白い十字の旗を掲げていることから、一般には聖ニカシウス(ニカジオ)と考えられています。この聖人は、聖ヨハネ騎士団(ロードス騎士団)の殉教者で、依頼主の息子マッテオが所属していた騎士団とも重ねられていると見なされています。
一方、右側に立つのは、裸足で質素な修道服をまとった聖フランチェスコです。胸元に手を当て、静かに前を見据える姿は、ジョルジョーネより一世代前のヴェネツィアの画家ジョヴァンニ・ベッリーニが描いた聖フランチェスコ像との近似が指摘されています。
武装した騎士と、貧しさを生きる修道士。この両極端な二人を聖母子の前に並べることで、「戦う信仰」と「祈る信仰」という二つの在り方が画面の中に共存します。追悼されるマッテオは戦場で亡くなりましたが、その魂は聖フランチェスコのような謙虚な信仰にも包まれている、というメッセージが読み取れます。
左の騎士が実は亡くなった息子のイメージかもって説、かなりグッとくるな
だよな。聖人として描きつつ、同時にポートレートも兼ねてるって発想がルネサンスっぽい
背景風景とヴェネツィア派らしい色彩
ジョルジョーネの作品らしく、この祭壇画でも背景の風景表現が重要な役割を果たしています。
聖母の背後には、なだらかな丘や城壁、遠くの山並みが、柔らかい光の中で連なっています。色彩は、手前の人物に比べてやや抑えられており、空気遠近法によって奥行きが自然に感じられる構成になっています。
同時期のフィレンツェ派の画家たちが、緻密な素描と明快な輪郭線を重視していたのに対し、ジョルジョーネは輪郭をやや柔らかくぼかしながら、色のグラデーションで形をつくる「線描に頼らない描き方」を追求しました。このアプローチは、のちにティツィアーノへと受け継がれ、ヴェネツィア派の特徴的な油彩表現として発展していきます。
また、祭壇画でありながら、教会建築の内部ではなく、自然の中に玉座を置いている点も特徴的です。聖母子が大地の上に座しているかのような設定は、神と人間、自然界とのつながりをさりげなく示しているようにも見えます。
背景の風景が“舞台装置”じゃなくて、ちゃんと空気を感じる世界になってるのがいいね
わかる。人物より先に空気感を描いてるんじゃないかってくらい、ヴェネツィア派の色が効いてる
追悼の絵画としての意味と読み解き
玉座の下の円形の盾に描かれた家紋、聖ニカシウスと騎士団の旗、そして礼拝堂の床下に眠るマッテオの墓。これらを重ねて考えると、《カステルフランコの祭壇画》は、聖母子と二人の聖人に守られた「騎士マッテオの永遠の安息」のイメージとして構想されていたことが見えてきます。
聖母子は高い位置から全体を見守り、騎士は地上で剣を置いて静かに立ち、聖フランチェスコは祈りの姿勢で信仰を示す。画面にはドラマティックな動きはありませんが、それぞれのポーズが、地上から天上へと視線を導く静かなストーリーをつくっています。
さらに、祭壇画はミサのたびに人々の視線を集める場所に設置されます。信者たちは聖母子や聖人たちに祈りながら、同時にコスタンツォ家の墓にも思いを馳せます。作品は、個人的な追悼と共同体全体の信仰とを結びつける媒介として働いていたと言えるでしょう。
絵の前でお祈りするたびに、依頼主の家族のことも思い出すって構造なんだね
そうそう。絵画が“記念碑”として機能してる好例だわ
盗難・修復と現在の姿
《カステルフランコの祭壇画》は、長い歴史の中で何度も修復を受けてきました。その過程で、色が変質したり細部が損なわれてしまった部分も少なくありません。
1972年には実際に盗難事件に遭い、教会から持ち去られるという大きな出来事もありました。その後無事に発見され、2002〜2003年にかけてヴェネツィアの専門研究機関で大規模な修復が行われています。修復後の作品は展覧会で公開されたのち、再びカステルフランコの大聖堂に戻され、現在も礼拝堂で鑑賞することができます。
絵の表面には、過去の損傷や時間の痕跡も残っていますが、それもまた500年以上にわたってこの作品が人々の信仰とともに生き続けてきた証と言えるでしょう。
盗まれてちゃんと戻ってきたって聞くと、なおさら“守られてる作品”って感じがする
だよな。いろんな事件をくぐり抜けて、今も元の街で見られるのはありがたいわ
おすすめ書籍
このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。
まとめ:ジョルジョーネの静けさが凝縮された祭壇画
《カステルフランコの祭壇画》は、一見するとごく伝統的な聖母子と聖人の祭壇画です。しかし、聖母子をぐっと高い玉座に座らせた構図、騎士と修道士という対照的な二人の聖人、柔らかな風景と色彩表現、そして若くして亡くなった騎士を悼む個人的な物語など、ジョルジョーネらしい独自の工夫が密かに詰め込まれています。
ヴェネツィア派の油彩表現が本格的に花開く直前の作品としても重要であり、後のティツィアーノや多くの画家に影響を与えた「静かな革命」の一ページでもあります。
もし現地を訪れる機会があれば、大聖堂の礼拝堂でこの祭壇画と、その下に眠るマッテオの墓とをセットで見てみてください。ジョルジョーネの絵が、依頼主の家族の記憶と今も結びつき続けていることを、肌で感じられるはずです。
ジョルジョーネって“謎の画家”ってイメージ強かったけど、この祭壇画は依頼主のストーリーがはっきりしてていいね
うん。謎とドラマのバランスがちょうどいい感じ。いつかカステルフランコ行って、生で見たいわ


