画面いっぱいにうごめく裸体の群衆。
空中では天使たちが剣を振るい、地上では悪魔が罪人に襲いかかっています。
ルカ・シニョレッリの《罪されし者を地獄へ追いやる天使》は、オルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂を飾る《最後の審判》連作の一場面です。テーマ自体はキリスト教美術でおなじみの地獄ですが、ここまで筋肉と躍動感に振り切った表現は、同時代の画家たちの中でも飛び抜けています。
ダンテ『神曲』の挿絵か、あるいは現代のダークファンタジーの一場面を見ているような迫力は、ルネサンス後期の巨匠ミケランジェロにも強い衝撃を与えました。システィーナ礼拝堂《最後の審判》の暴れ狂う肉体たちのルーツをたどると、その一つの答えがこのフレスコにたどり着きます。
この記事では、作品が描いている場面、制作された礼拝堂の背景、シニョレッリならではの人体表現、そして後世への影響まで、順番に解説していきます。
この絵、情報量が多すぎてどこから見たらいいか迷うやつだね。
とりあえず今日は、地獄のカオスを整理してもらう回ってことで。
《罪されし者を地獄へ追いやる天使》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

作品名:罪されし者を地獄へ追いやる天使
原題:場面は《I dannati all’Inferno》として言及されることが多い
作者:ルカ・シニョレッリ(Luca Signorelli)
制作年:1500年頃〜1504年頃
技法:フレスコ(壁画)
所蔵:イタリア・オルヴィエート大聖堂 サン・ブリツィオ礼拝堂
このフレスコは単独作品というより、サン・ブリツィオ礼拝堂の壁面を埋め尽くす《最後の審判》サイクルの一部として描かれています。礼拝堂全体では、終末の到来、死者の復活、選ばれた者の天国行き、そして罪人の地獄落ちまでが連続的に展開し、そのクライマックスとしてこの場面が配置されています。
礼拝堂まるごと終末映画のラストシーンって感じか。
その中でも、この“地獄パート”が一番アクション濃度高いってわけだね。
<作者についての詳細はこちら>
地獄へ追いやられる罪人たち:画面で何が起きているのか
画面下半分を占めるのは、混乱状態の罪人たちです。ねじれ、もがき、逃げようとし、互いにつかみ合いながら、彼らはどこへ連れて行かれているのでしょうか。
近くで見ると、悪魔たちの姿は必ずしも怪物的というより、人間の形をベースに翼や角を足したような造形になっています。シニョレッリは完全な異形というより、どこか人間に似た存在として悪魔を描くことで、地獄の恐怖をより身近なものとして感じさせています。
画面の上方では、鎧姿の大天使たちが剣を抜き、罪人たちを見下ろしています。彼らは情け容赦のない裁きの執行者として描かれ、表情にはほとんど感情が読み取れません。神の裁きが一度下されれば、ためらいはないというキリスト教的世界観が、冷徹な態度に表れています。
重力を無視したように宙を舞う人物たちは、引き裂かれたり、抱き合ったまま落ちていったり、ポーズも感情もバラバラです。ここには秩序ある「群像」ではなく、救いを失った人間の最終的な混沌が描かれています。
天使のほうが怖く見えるの、けっこうえぐいよね。
優しいだけじゃない神様の一面を、ガチで描いた結果ってことかも。
サン・ブリツィオ礼拝堂と《最後の審判》プロジェクト
このフレスコがあるサン・ブリツィオ礼拝堂は、オルヴィエート大聖堂の中でも特に装飾の豪華な空間です。もともとは15世紀半ばにフラ・アンジェリコらが天井装飾を始め、その後しばらく中断されていました。
世紀の変わり目にあたる1499年、教会側は礼拝堂の壁面全体を飾る《最後の審判》サイクルの完成を目指して、当時すでに評価の高かったシニョレッリを起用します。シニョレッリは数年をかけて、黙示録と終末をテーマにした壮大なフレスコ群を完成させました。
教会にとって《最後の審判》は、単なる恐怖のイメージではありません。礼拝堂はミサや祈りの場であり、信者はここで自分の行いを振り返り、最後の裁きを意識することが期待されました。その意味で《罪されし者を地獄へ追いやる天使》は、信者に強烈なインパクトを与える「警告の壁画」として機能していたと考えられます。
また、15〜16世紀初頭のイタリアでは、戦争や疫病、宗教改革の前兆など、不安定な社会状況が広がっていました。終末を描く主題が好まれた背景には、当時の人々が実際に感じていた危機感も重なっていたはずです。
教会に入っていきなりこの壁画見たら、さすがに生活改めようって思うわ。
現代版だったら『推しの前で悪さはできない』みたいな心理に近いかもね。
ねじれた筋肉とフォルムの実験室:シニョレッリの人体表現
シニョレッリの一番の持ち味は、徹底した人体研究に基づく力強い肉体描写です。多くの人物が極端なポーズで描かれているのは、単にドラマチックに見せるためだけでなく、画家が人体の構造をどこまで描き切れるかを試しているようにも見えます。
たとえば、真ん中あたりで背中をこちらに向けて倒れ込む人物の筋肉の張りや、空中で逆さまに落ちていく人物の脚の重さなど、身体の重量感が細かく表現されています。これは骨格や筋肉の知識がなければ描けないレベルで、シニョレッリが実際に解剖やスケッチを通して人体を研究していたと考えられています。
また、この作品では「短縮法」と呼ばれる遠近表現が多用されています。手前の人物の腕や脚がこちらに向かって突き出しているように見えるのは、画家が奥行きを計算しながら人体を縮めて描いているからです。観る側はその誇張された遠近感によって、地獄の渦の中に吸い込まれそうな感覚を覚えます。
色彩も、ベージュやオレンジに近い肌色と、緑がかった背景とのコントラストで構成されており、人物の群れが一つの巨大な肉塊のように迫ってきます。美しいというより「圧倒される」絵であり、その意図は十分に成功していると言えます。
完全に“人体アクション画集”だね。ポーズのバリエーションえぐい。
マンガ家とかゲームデザイナーが資料にしたくなるの、めちゃくちゃわかる。
ミケランジェロへの影響と、美術史の中での位置づけ
シニョレッリのサン・ブリツィオ礼拝堂フレスコは、後世の芸術家にも大きな影響を与えました。特に有名なのがミケランジェロです。若い頃にオルヴィエートを訪れ、この礼拝堂の壮大な肉体群を熱心に研究したと伝えられています。

その一世代後、ミケランジェロはローマのシスティーナ礼拝堂に自身の《最後の審判》を描きました。そこでも、空中に浮かぶ無数の人体が複雑に絡み合い、天使や悪魔が人々を裁きへと導く構図が展開されます。人物の量、筋肉表現、ポーズの過激さなどを比較すると、シニョレッリのフレスコが一つの先駆けになっていることがはっきりとわかります。
とはいえ、シニョレッリの評価は長い間、ミケランジェロほど高くはありませんでした。写実性や精神性よりも、あまりに解剖学的な筋肉表現が強調されているため、好みが分かれるところでもあります。しかし現在では、ルネサンス後期の人体表現の到達点として、そしてドラマティックな地獄図の代表作として、改めて注目されています。
オルヴィエート大聖堂の礼拝堂という、観光地としても訪れやすい場所にあることから、現代の来訪者はミケランジェロのシスティーナ礼拝堂とあわせて見ることで、ルネサンス美術の「筋肉表現の系譜」を体感することができます。
ミケランジェロだけ見てると、いきなりあのスタイルが出てきたって錯覚しがちだよね。
その前に、地獄で人体研究しまくってた先輩がいたって知ると、歴史が一気につながる感じする。
おすすめ書籍
このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。
おわりに:恐ろしさと技術が極限まで結びついた一枚
《罪されし者を地獄へ追いやる天使》は、ただ怖いだけの地獄絵ではなく、「人体への執着」と「終末への不安」ががっちり結びついた、ルネサンスならではの名品です。
現代の目で見ても、これほどまでに肉体そのものをテーマにした宗教画はそう多くありません。シニョレッリが礼拝堂の壁一面を使って描き出した「地獄のアクションシーン」は、500年以上たった今も、見る人の記憶に強く焼き付く力を持ち続けています。
ルネサンスって“調和と理性”みたいなイメージあったけど、この絵はむしろカオス寄りだね。
その振れ幅も含めてルネサンスなんだと思う。次はミケランジェロの《最後の審判》と並べて語りたくなるね。

