1889年の初夏、フィンセント・ファン・ゴッホは自分の意思でサン=レミ=ド=プロヴァンスの修道院付属サン=ポール・ド・モゾール療養所に入ります。
ここでの約一年は、発作に襲われて筆が止まる日もあれば、嘘みたいな集中力で一気に描き切る日もある――そんな凸凹の時間でした。けれど、その揺れこそが絵に息を吹き込み、《星月夜》《アイリス》《糸杉》《オリーブの木》といった名作が次々と生まれます。
「閉ざされた場所から、どうしてあんな広い世界が見えたのか?」その謎を、場所・作品・技法・心のリズムからほどいていきます。
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有名な《星月夜》って、ここで描かれたんだよね。
そう。療養所の“制約”が、むしろ想像力のスイッチになった時期なんだ。

年表でつかむ:サン=レミ療養所の1年
- 1889年5月8日 療養所に自主入院。まずは庭と回廊での素描から再始動。
- 5〜6月 《アイリス》の連作に没頭。形と色を整える“静かなリハビリ”。
- 6月 窓の眺めをもとに《星月夜》。夜にその場で描いたわけではなく、日中に記憶と想像を混ぜて構成したと見るのが一般的。
- 夏〜秋 糸杉/オリーブの木のシリーズで、風と光の動きを線と色に変える。9月頃には自画像。
- 冬〜翌年初 体調が揺らぐ時期は、**ミレーやドラクロワの図版を色で“再解釈”**して感覚を保つ。
- 1890年5月 退所。パリを経てオーヴェル=シュル=オワーズへ。

“夜に窓から写生して描いた”わけじゃないの、意外!
そう。観察+記憶+想像で、夜空を再構成しているのがポイントだよ。

療養所の環境:窓、庭、回廊がアトリエ
建物は石造りの修道院。ゴッホの部屋は東向きの窓で、朝の光が差し込みます。鉄格子の先には、畑、オリーブ、糸杉、遠くの丘。
体調が安定していれば、庭や近くの畑で制作もできました。行動範囲は狭くても、時間帯や天気が変われば景色は別人。日によっては1日1点を仕上げる勢いで描き続けます。

行動範囲が狭いのに、景色のバリエーションが多いね。
“同じ場所を変奏する力”がすごい。時間・天気・気分で別世界になるんだ。

主要作品① 《星月夜(The Starry Night)》を深読み

1889年6月頃の作。東向きの窓の眺めを芯にしつつ、尖塔の高い教会などは創作と考えられます。
群青の空に渦巻く線、星と月の黄色が震えて光る。縦へ伸びる糸杉と、横へ流れる渦の線。この“縦×横”のせめぎ合いが、目の動きを生む仕掛けです。
一番明るい黄色は星と月だけに残し、他は青に沈める。だからこそ、光が「鳴る」。大きな星を金星(明けの明星)と見る説はよく語られますが、天文図の精密再現ではありません。観察+記憶+象徴の再構成です。

夜空が“空気の川”みたいに流れて見える…!
色とストロークで“見えない動き”を描いた、その革新性が《星月夜》の核心だね。

主要作品② 《アイリス》形を揃えて、呼吸を取り戻す

入院直後から庭の花壇で描き続けたのが《アイリス》。太い輪郭で花と葉をとらえ、青紫×黄土・緑のはっきりした配色で塗り分けます。
反復の筆致に体を合わせるうちに、心拍が整い、視界が澄んでいく。描くこと自体が整える行為になっているのが、この絵のやさしさです。

見てると不安が整っていく感じ、わかる気がする
反復とリズムが“描く瞑想”になっているんだ

“再解釈”という練習曲:ミレー/ドラクロワに色で返事をする
体調が不安定な時期、ゴッホはミレーやドラクロワの図版をもとに構図は借りて、色と筆致は自分で描き直します。いくつか紹介します。
まずは、ドラクロワの《ピエタ》の模写である《ピエタ》。


次にミレーの《1日の4つの時:昼寝》の模写である《昼、休息》。


最期にミレーの《種まく人》の模写である《種まく人》。


室内で安全に続けられる方法で、感覚を切らさない工夫です。クラシックの名曲を、別の楽器とテンポで“編曲”して弾くイメージですね。

コピーじゃなくて対話なんだね。
うん、先人への返事を自分の色で書いているね。

技法と色彩――青×黄、輪郭線、方向のある筆、絵肌の厚み
この時期の要点はシンプルです。
- 配色:群青・コバルトとクロムイエローの強い補色。光が鳴る。
- 輪郭:暗い線で色面を縁取り、形の境目をくっきりさせる。
- 筆致:短く方向性のあるストロークで、風や草の流れを生む。
- 絵肌:必要なところはインパスト(厚塗り)で盛り、光沢差でリズムを作る。

線に矢印があるから、目が迷子にならないんだ。
視線の動きまで設計する。それが“構成する想像力”。

心のリズム――止まる → 整える → 奔る
発作で止まる。落ち着いたら、素描や《アイリス》のような“整える”モチーフで手を温める。スイッチが入ると、糸杉やオリーブの連作で一気に加速。
この小さなサイクルが何度も繰り返され、作品群の“波形”にそのまま刻まれます。

助走を置くから、跳躍が高くなったのか。
そう。助走も創作の一部なんだ。

よくある誤解、ここで整えておこう
- 《星月夜》は夜に窓から直接描いた?
→ **いいえ。窓の眺めを基に、日中に記憶と想像で再構成したと考えられます。 - 《星月夜》が最後の作品?
→ **いいえ。退所後のオーヴェル時代に《カラスのいる麦畑》などを制作。 - 療養所では描けなかった?
→ いいえ。中断はあるが、回復期は驚くほど多作でした(油彩だけでもこの一年でおよそ百数十点規模)。

設計と努力のすごさが見えてくる。
プロセスを知ると、同じ絵が前より深く見えるよ。

この時期の主な作品
この記事でまだ紹介していない、この時期の主な作品を紹介します。
《糸杉と星の見える道》(1889)

《オリーブ畑》(1889)

《麦刈る男》(1889)

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まとめ――制約がひらいた“想像の窓”
行動範囲は狭く、体調は揺れる。それでもゴッホは、観察(窓の外)・記憶(心の中)・想像(再構成)を束ねて、絵のスケールを広げてみせました。
夜空は流れ、糸杉は燃え、オリーブは呼吸する――外界の風景と内なる鼓動が重なった、かけがえのない一年。ここで鍛えた“構成する想像力”が、最期のオーヴェルでの疾走へとつながっていきます。
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