ロンドン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されているセバスティアーノ・デル・ピオンボの《ラザロの蘇生》は、高さ約3.8メートルという大きさの祭壇画です。
画面いっぱいに押し寄せる人々の中で、キリストが片手を高く掲げ、もう一方の手で墓から起き上がる男を指さしています。男は四日間も墓に葬られていたラザロ。聖書の中でも特に劇的な「死者の復活」の奇跡をテーマにした作品です。
この絵が描かれたのは1517〜1519年頃。依頼主はメディチ家の枢機卿ジュリオ・デ・メディチで、同じく彼の依頼でラファエロが制作していた《キリストの変容》(現在はバチカン絵画館)と、事実上の「競作」として構想されました。
セバスティアーノの背後にはミケランジェロがいて、ラザロや周囲の男性像にはミケランジェロの準備素描が使われています。色彩感覚に優れたヴェネツィア出身の画家と、人体表現の天才ミケランジェロ、そしてローマで人気絶頂だったラファエロ。三者の力がぶつかり合った、きわめて濃度の高い一枚だと言えます。
ラザロが復活するシーンってだけでもドラマチックなのに、裏でそんなガチ勝負があったんだね。
そうなんだよ。聖書の奇跡+三巨匠のプライド、そりゃあ絵も濃くなるわけだよね。
《ラザロの復活》
まずは簡単に作品の情報を紹介します。

タイトル:ラザロの蘇生
作者:セバスティアーノ・デル・ピオンボ(本名 セバスティアーノ・ルチアーニ)
制作年:1517〜1519年頃
技法:油彩、木板上に描かれたのちカンヴァスに移し替え
サイズ:約381 × 289.6 cm
形式:祭壇画(フランス・ナルボンヌ大聖堂のための主祭壇画として構想)
所蔵:ロンドン・ナショナル・ギャラリー(収蔵番号 NG1)
依頼主:ジュリオ・デ・メディチ枢機卿(のちの教皇クレメンス7世)
特徴:ミケランジェロ提供の素描に基づく力強い男性像と、ヴェネツィア派ゆずりの豊かな色彩を組み合わせた大作
サイズ見てびっくりだね。単なる“名画”じゃなくて、もともと本気の祭壇画なんだ。
しかもナショナル・ギャラリーのカタログ番号1番。コレクションの象徴的な一枚なんだよ。
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セバスティアーノ・デル・ピオンボとは
ヴェネツィア色彩とローマの量感をつなぐ画家
セバスティアーノ・デル・ピオンボは、ヴェネツィア生まれの画家で、本名はセバスティアーノ・ルチアーニです。
若いころはジョヴァンニ・ベッリーニやジョルジョーネのもとで学び、柔らかい光と繊細な色の階調を大切にするヴェネツィア派の空気のなかで育ちました。
1511年、銀行家アゴスティーノ・キージに招かれてローマへ移り、以後は生涯ローマを拠点に活動します。ローマではラファエロと同時代に仕事をしながら、ミケランジェロとも親しくなり、システィーナ礼拝堂の天井画などから強く影響を受けました。ヴェネツィア仕込みの豊かな色彩(colorito)と、ローマで学んだ大きく量感のある人体表現を組み合わせた点が、彼ならではの持ち味だとされています。
1531年にはローマ教皇庁の「ピオンボ(鉛の封印)」を管理する役職に任命され、その職名から「デル・ピオンボ(鉛の人)」という通称が定着しました。職務のために制作点数は決して多くありませんが、そのぶん一作一作が大きく、密度の高い作品になっています。
ヴェネツィア出身なのに、代表作はローマでミケランジェロと組んで描いてるって、経歴が面白いね。
そうそう。“色のヴェネツィア”と“形のローマ”を掛け合わせたハイブリッドな画家って覚えておくと分かりやすいよ。
聖書の物語「ラザロの蘇生」とは
《ラザロの蘇生》は、新約聖書ヨハネによる福音書第11章の物語をもとにしています。
ベタニアという村に、マルタとマリアという姉妹と、その兄ラザロが暮らしていました。ラザロが重い病気になり、姉妹はイエスに助けを求めますが、イエスが村に着いたときにはラザロはすでに四日も墓の中に葬られていました。
イエスは涙を流しつつ墓の前に立ち、「ラザロよ、出て来なさい」と呼びかけます。すると、布に包まれたままのラザロが墓から出てきて、人々は驚きと恐れ、喜びの入り混じった騒ぎとなりました。
このエピソードは、イエスの奇跡の中でも「死からの完全な復活」という意味で格別に劇的で、墓布に包まれたラザロという視覚的に分かりやすいモチーフのため、中世からルネサンスにかけて非常に好まれました。
さらに、ナルボンヌ大聖堂にはラザロの聖遺物があったとされ、この主題はその大聖堂の祭壇画としてぴったりでした。依頼主のメディチ家の名前はイタリア語で「医者たち」を意味し、「癒やし」をもたらすキリスト像を強調するテーマでもあったと言われます。
“ラザロよ、出て来なさい”って、言葉のインパクトもすごいよね。
うん、その一言で空気が変わる瞬間を、セバスティアーノが絵でどう見せるかがこの作品の肝だね。
ミケランジェロとの協働とラファエロとの競作
1516年、ジュリオ・デ・メディチ枢機卿は、ナルボンヌ大聖堂の主祭壇のために大作を2点注文します。ひとつはラファエロの《キリストの変容》、もうひとつがセバスティアーノの《ラザロの蘇生》でした。
この「ダブル発注」は、ミケランジェロの側からの働きかけがあったと考えられていて、彼は自分の友人であるセバスティアーノを前面に立て、当時ローマで絶大な人気を誇っていたラファエロと肩を並べさせようとしたのです。
ミケランジェロは、ラザロとそれを支える二人の男のために力強い素描を提供し、セバスティアーノはそれをもとにキャンバス上で構図を練り直しました。赤外線調査によると、ラザロの姿は制作途中で大きく描き直されており、途中でミケランジェロの新しい案に合わせて修正された可能性が高いことが分かっています。
完成した2枚の祭壇画は、1520年にローマで並べて展示され、多くの人々がその出来を論じました。ラファエロの作品は、その「優雅さと調和のとれた美しさ」において称賛の的となり、結果としてはより高く評価されたようですが、《ラザロの蘇生》も色彩とドラマ性において絶賛されました。最終的にナルボンヌへ送られたのはセバスティアーノの作品だけで、ラファエロ作はローマに残り続けます。
ラファエロ相手にガチで勝負させるあたり、ミケランジェロもかなり攻めてるね。
だよね。自分は彫刻メインに戻りつつ、色彩の得意なセバスティアーノを“刺客”的に送り込んだ感じがする。
構図と人物のドラマ
画面のほぼ中央やや左に、ピンクと青の衣をまとったキリストが立っています。右手は高く掲げられ、左手はまっすぐ右側を指さし、その指先の方向にラザロがいます。
ラザロは石の棺の縁に腰かけるような姿勢で、身体を大きくひねりながら起き上がるところです。まだ墓布が脚や胸元に巻きつき、近くの男たちが彼を支えています。バンデージの白さと、褐色の筋肉質な身体とのコントラストは、ミケランジェロの大理石彫刻を思わせるほどの迫力です。
キリストの足元では、黄色の衣の若い女性が膝まずき、胸に手を当てながら見上げています。彼女はラザロの妹マリア(当時はマグダラのマリアと同一視されていました)として描かれ、イエスへの信頼と驚きの入り混じった表情が印象的です。後ろにはもう一人の妹マルタがいて、顔を覆ったり、口元に手を当てたりしながら、あり得ない光景を見つめています。
群衆のリアクションも実に多彩です。驚いてのけぞる者、祈りのポーズでひざまずく者、信じられないといった表情で目を凝らす者など、一人ひとりが異なる感情を体現しています。
特に画面左下の老いた男性は、両手を合わせてキリストの足元にひざまずき、絵を見ている私たちの感情を代弁する“代理観客”のような役割を果たしています。
背景には橋と川、奥には古代遺跡のような建築群が見え、重たい雲が空を覆っています。暗い空と低い地平線のおかげで、手前の人物たちの動きと色彩が一層際立ち、奇跡の瞬間が雷鳴の前触れのような緊張感を帯びて迫ってきます。
全員ポーズが違うから、どこを見ても“感情の見本帳”みたいだね。
そうそう。ラザロだけじゃなくて、奇跡を目撃した群衆のドラマまで丸ごと描いてるのがこの絵のすごさ。
色彩と光の演出
セバスティアーノはヴェネツィアで培った色彩感覚を武器にしていました。《ラザロの蘇生》でも、その強みが全開になっています。
キリストの衣には、高価なウルトラマリンを含む深い青と、ややくすんだ赤系のピンクが使われており、画面の中心として一目で分かるように計算されています。ナショナル・ギャラリーの技術調査によると、この絵では非常に多様な顔料が複雑に混ぜ合わされていて、当時としても「これまでにないほど微妙で幅広い色の変化」を狙った作品だったとされています。
現在見られるキリストの赤い衣はかなりピンク寄りですが、これは18世紀に木板からカンヴァスへ支持体を移し替えた際のダメージや、その後の修復で顔料が変質したためと考えられています。オルレアン・コレクションにあった頃の記録では、もっと深く鮮やかな赤として記憶されており、当初はより強いコントラストがあったようです。
人物たちの衣服も、緑・オレンジ・紫など鮮やかな色が隣り合いながら、陰影のグラデーションによってうるさくならないよう抑えられています。暗い背景と重い雲との対比で、手前の色彩は舞台のスポットライトのように浮かび上がり、まさに「色で語るドラマ」が作り上げられています。
色数多いのに、ちゃんとキリストが一番目立つようになってるのがうまいね。
だよね。ミケランジェロが“形”のエースなら、セバスティアーノは“色のエース”って感じがよく出てる一枚。
歴史の中の《ラザロの蘇生》
完成した《ラザロの蘇生》は、しばらくローマでラファエロの《キリストの変容》とともに鑑賞されたのち、予定どおりフランス南部のナルボンヌ大聖堂に送られました。そこでこの大作はおよそ2世紀にわたり、祭壇を飾る中心的な絵として信者たちの前に置かれていたと考えられます。
18世紀になると、フランス摂政オルレアン公フィリップ2世が大聖堂側と交渉し、この作品を自らのオルレアン・コレクションに迎え入れます。代わりに、画家シャルル=アンドレ・ヴァン・ローによる複製画がナルボンヌに納められ、現在も大聖堂にはそのコピーが残っています。
オルレアン・コレクションはフランス革命前後の混乱のなかで売却され、多くの作品がロンドンへ渡りました。《ラザロの蘇生》もその一つで、最終的に銀行家ジョン・ジュリアス・アンガースタインの手に渡ります。
1824年、イギリス政府がアンガースタイン・コレクションをまとめて購入し、ナショナル・ギャラリー創設の核とした際、この絵は収蔵番号「NG1」を与えられました。ギャラリーの歴史にとっても象徴的な作品というわけです。
フランスからイギリスへ、コレクションごと旅してきたんだね。
そう。今ロンドンで見られるのは、そういう政治やお金の流れの結果っていうのも面白いところ。
おすすめ書籍
このサイトの参考にもさせて頂いている本を紹介します。
まとめ|奇跡・色彩・ライバル心が交差する一枚
セバスティアーノ・デル・ピオンボの《ラザロの蘇生》は、聖書の奇跡を描いた宗教画であると同時に、ヴェネツィアとローマ、ミケランジェロとラファエロといった、さまざまな要素が交差する「時代の交差点」のような作品です。
ラザロの筋肉質な身体とねじれたポーズにはミケランジェロの力強さが宿り、群衆の色彩豊かな衣服や柔らかな陰影にはヴェネツィア派の血が流れています。そこに、ラファエロという強力なライバルの存在が加わることで、セバスティアーノは自分の全ての技をこの一枚に注ぎ込みました。
巨大な祭壇画として構想されたため、画面はとにかく情報量が多く、一度に全てを理解する必要はありません。まずはキリストとラザロの関係、その周りで驚く人々の表情、背景の遺跡と暗い空、と視線をゆっくり移していくと、少しずつドラマの層が見えてきます。
ロンドンを訪れる機会があれば、ナショナル・ギャラリーでぜひ本物を見てみてください。写真では伝わりきらないスケールと、色の厚み、そして群衆のざわめきまで聞こえてくるような迫力を感じられるはずです。
ストーリーも制作の裏事情も知ったうえで見ると、同じ絵でもだいぶ違って見えそう。
うん。“奇跡の場面”というだけじゃなくて、セバスティアーノがラファエロに挑んだ勝負の記録として見ると、さらに面白くなるよ。


